もうすぐ春

 4月第1週から全国で桜の開花が始まります

青春18きっぷは4月10日まで

少し遠くに出かけてみてはいかがでしょうか

 

この春卒業した看護学生の皆さんへ


こんにちは (医療倫理)講師の草薙龍瞬です。
卒業おめでとうございます。


今思い浮かぶこと・・・個人的には、この四年間は、医療・看護倫理がかなり崩れた期間だったと思ってはいます――。

これは看護の世界に生きる人たちには伝えにくいことではあるのだけれど、

医療・看護が、助けを求めている人たちへの救いの手段であるはずが、いつのまにか患者や現場の看護師に過剰な負担を強いるようになっている現状もなくはなく。

たとえば感染予防策としてのワクチンの扱いについては、厚労省が認定する、mRNAワクチン接種後の後遺症・死亡事例が日を追うごとに増えているのは、事実。当然知っていますよね?

実習先の病院が、看護学生へのワクチン接種を「事実上」強制していたことも、過去にはありましたね。

ちなみにワクチン接種後に死亡した最初期の報道は、2021年4月15日。医療従事者への先行接種が完了した直後の、福岡在住の26歳の女性看護師でした。

接種4日後の朝、室内で倒れている姿が発見されました。当時、接種が進んでいたイギリスでは100万回接種あたり26.2件の死亡報告が出ていました。見えて(知って)いましたか?
 
今なお続く、新型コロナウィルスに関する執拗な報道も、倫理的には問題です。いつまで続けるのか。社会への負の影響をどう評価するのか。このまま社会の活力を削ぎ続けるのか。報道するかしないかを決める基準は、この社会にあるか? 
 

新型コロナについて、今回のワクチンについて、何が正しい理解かは、これから議論していかねばならないことです。決めつけは倫理違反。これは、人の命を守るという普遍的な使命を担う医学の問題であって、「反〇〇」といった党派対立の問題ではないのです。

起きた事実を冷静に見つめて、
いろんな可能性を考えること。「見解」(これが正しいに決まっている)という名の妄想に飛びつかずに、 「苦しみを増やさない」という医療の、いや社会全体の大原則、いわば約束を守り抜くこと。

それが倫理です。社会を社会として維持していくための良心。
 
みなさんが貫くべき職業倫理(看護師としての鉄則)でもあります。


しかし「苦しみを増やさない」という大原則に反する報道、政策、医療・看護のあり方が続いている印象が、個人的には強くあります。

多くの人が、自分が正しいと思う見解・意見の中に閉じこもるようになってしまった。異なる可能性、もっと他にあるかもしれない選択肢を考えなくなった――。


さまざまな見解に分かれるのは仕方ない。けれども、そうした多様な見解を、一定の視点をもって整理して、誰もが納得のいく「考え方の道筋」を示そうという態度が不可欠です。

特に医療・看護の専門家・プロフェッショナルには、そうした態度が期待されています。


自分たちの見解・利益に偏ることなく、なるべく多くの人が苦しみを回避し、幸福を実現できる社会を、制度を、選択肢を考え抜くーー
 
そうした本来の倫理が、どの分野においても、崩れつつあるように感じています。
 
日本社会の劣化は、危機的レベルにあるのかもしれません。



案外、ベテランの看護師であっても、こうした現実や、看護の世界固有の問題が見えていないことは、少なくありません。

使命感が強くて頑張りすぎたり、忙しすぎて看護の世界を冷静に眺めることができなかったり・・・確かに偉いし尊敬できるのだけど、お人好しすぎるのでは?と思うこともなくはありません。患者目線の脱線ですが(^^;)。



講義の中で皆さんにお伝えしていたのは、「患者目線で」レポートを評価しますよということ。晴れて卒業した皆さんに、私が患者目線で期待するのは、

まずは、現場で確実に人を救える技術と知識と経験を身に着けること。
(初歩を固めるのに3年、習熟に7年、主戦力になるのに10年? 一般論としてですが)。

そのうえで、看護が抱えるさまざまな問題を、正しく理解して、改善の方法を提言できる「新しい看護」を創れる人材になってくれること(時間はかかるし、難しい使命だけれど)。

苦しむ人を助けると同時に、自分自身も苦しみを越えて、

「納得のいく職業人生」――私は生涯をかけてこの仕事(看護)をやってきた、その人生に納得している、誇りに思う、生きてきた価値があったと思えること――

そこまでたどり着いてほしいな、と個人的には願っています。


そのためには、現実を正しく理解する技法が必要です。「ただ従う」ことが正しいとは限りません。

とはいえ「倫理的に間違っています」と言えるには、自分が相当なレベルのプロになる必要があるのだけど。

最終的には、

看護の世界が抱える問題を見抜いて、


「本来の(=苦しみを増やさない)看護のあり方」を言語化して、

「倫理に反する」現場の慣行や人間関係に苦しめられない「強い看護師」になってもらえたら、と願っています。


強く、優しい看護師 をめざしてくださいね――というのが、患者目線からの希望です。


 

改めて 

卒業、おめでとうございます



2024年3月下旬


現実と闘える本物のプロフェッショナルが各分野に必要では?



「心は歳を取らない」という生き方


「老害」という最近よく聞く言葉は、マクロの「制度論」と、ミクロの「人間関係論」に分けて、その意味を考える必要があります。

いずれの視点においても意味がない――というのが、仏教に基づく結論にはなります。もっと建設的なテーマ・表現に置き換えることが可能だからです。追って言葉にしていきたいと思っています。


ただ、こうした考察は、自戒しないと、まさに「私はこう思う」という我見(妄想)の延長にすぎなくなる危険があって、

その危険に気づかないままでいると、自分もまた「自分の意見以外は見えていない」独り善がりに陥ってしまいかねないので、

なるべく目線を低く、心を開いて、素朴な疑問を、素直な言葉で紡ぐ必要があります。(※本に書く時は、そのうえで知識や情報をつけ足します。この場所では、そこまではできませんがw)

「心が歳を取らない」ことが大事ということです--その練習はといえば、私の場合は、


外の景色を子供のように、というかまさに子供と同じ目線で見ること をしています^^。たとえば、

 

まだ寒い日が続いていますが、日差しはもう立派に春。透明で、あたたかくて。

外を歩いて、その光を、一切の自意識なく見つめます。

自意識をゼロにできれば、それは幼子が見る景色と同じになります。


「自分」を作っている日常の妄想(自意識のかけら)を完全に消すのです。


この命には、それが可能です。で、心をツルツルのピカピカにする――。

これが、自分にとっての一番の健康法です。


すると歳を取りにくくなります――あくまで”心の年齢”についてですがw。



ストレスを溜めないことは可能です

「老害」という言葉の無意味さ

 
最近よく耳にするようになった「老害」という言葉。

真実を伝えている部分もあるし、危ういレッテルにすぎない部分もあるというのが、個人的な印象です。

真実についていえば、たしかに歳を重ねると体力、気力、健康のみならず、認知能力(理解力・思考力などの知的能力も含む)も衰えていく事実は、否めないかもしれません。

それまで自分の心と体ひとつでできたことが、次第にできなくなってくる。

「できる」ことを前提とする社会における活動や労働については、たしかに「生産性」は落ちるのかもしれません。
 

ただ、それは老いという自然現象であって、人間だれもが平等です。

老いることがいけないこと、価値がないという判断は、「自分もまた老いゆく生命」である以上、だれも下す資格はありません。

個人レベルの発想として持つことは自由だとしても、社会に発する言葉としては意味がないということです。


こうした判断が意味を持たない理由は、他にもあります:

1)かつては老いれば生き延びる力を失い、静かに消えていったり、それこそ「姥捨て」されたりしていました。「仕方ない」として受け入れる。そういう社会もありました。

でも次第に社会が、物質的にも精神的にも豊かになって、それこそ老いた人、貧しいとされる人、「できる」ことが大多数の人に比べて少ない人も含めて、「大事にしよう」と考えるようになり、実現されるようにもなった――それが、今の社会です。
 
人間の尊厳であり、生存権であり、人格権であり、幸福を追求する権利。
それを具体化する数々の制度。

これらは、ひとつの社会が、長い歳月をかけてたどり着いた共通の理念であり価値なのです。

もしこうした権利や価値を制限したり、奪ったりすることを許容してしまえば、

物理的に、確実に、奪われる人間・苦しめられる人間の数が増えます。

苦しみの数が増える――これは、社会にとっては後退・悪化であり、前進・改善ではありません。

自分(あなた)は、苦しめられたいと思いますか? 奪われたいでしょうか?
 
「思わない」なら、自分にとって価値はありません。思わない自分が生きる社会にとっても、当然、価値を持ちません。
 
人はみな生きたいと思う。
幸せになりたいと願う。
誰もが大切にされたいと願っている。
 
ならば、

その思いが尊重される社会をめざすことが、尊重されたいと願う個人(あなた自身)にとっての価値であり正解です。
 
 
幸せに生きたい・尊重されたいという個人の思いを無視したり蹂躙したり奪ったりすることは、「そうでもしなければ全滅してしまう」というような極限の状況でもない限り、許容すべきではありません。

言うまでもなく、今の社会は、そうした極限の状況にはありません。

つまり今の社会にあっては、老いを含む、人の属性を理由とした差別や排除を肯定しようという思想は、必要がないのです。


2)もっとも、「老害」と言いたくなるような、社会に共通する問題が存在することも事実です。

ですが、こうした問題については、社会においては「制度」を通じて解決していくことになります。
 

※たとえば、高齢になった人が交通事故を起こすという問題については、「免許制度」の変更によって解決するのが筋です。免許更新の頻度を増やすか、年齢制限を加えるか。いま開発が進んでいる自動運転技術も、解決策の一つ。「老害」とレッテルを貼ったところで、何も解決しないことは明らかです。

社会保障に膨大なお金がかかるというのも、改善すべきは制度です。医療費一つにしても、貯蓄額や収入に応じてスライドするとか、医療制度の無駄や過剰を削減するなど、本気で探せば、方法はたくさんあるはず。「高齢者多すぎ」と言ったところで、改善にはなりません。

よく挙げられる政治家の高齢化については、それこそ定年制や議員数の削減などの「外科手術」(法改正)を図ることが、最も確実な一歩です(なにしろ人口が日本の3倍近くに達しようというアメリカさえ、国家議員の数は日本よりはるかに少ないのだから)。


社会を改善する唯一にして確実な方法は、制度を変えることなのです。

そうした方向で考えることなく「老害」とレッテルを貼る――これが「論理的に間違い」であることは、明らかです。必要がなく、役に立たない。
 
つまりは個人の「妄想」止まりということです。
 

「老害」は、価値のないレッテル貼り。これに対して、本当に価値があるのは、「制度」を具体的に話し合う(議論する)ことです。

問題を理解し、改善策を数多く考え、最終的に制度を変えること。

それが、現場・行政・学問に携わる人たちの仕事ということになります。

ちなみに、価値のある話し合い(議論)には、
➀共通の目標と、
②共有する事実認識(問題点や事実の把握)と、
③「方法」こそを話し合うのだという共通の認識と、
④最終的な意思決定の方法

が必要です。そのための場所が、国会や地方議会。ただし、これらの要素がそろった「建設的な議論」である必要があります。

具体的に制度を変えるための議論には、これだけの条件(➀から④)が必要なのです。
 

となると、「自分はこう思う」という個人の見解や、マスメディアやSNS上で語られるコメントは、社会を改善するという目標においては、まだ力を持ちません。

個人の感想や意見をいくら放っても、またSNS上でぶつけ合っても、社会を変えるには至らないのです。まるで雲をつかもうとしてジャンプするようなものです。


個人の思いを発することは、会話・交流としては意味を持ちます。共感できれば楽しいものだし、そうでなくても「いろんな見方があるんだな」と学ぶことが可能です。

しかし「制度」を考えなければいけない職業人、つまり政治・行政・学問に従事する人たちが、「自分はこう思う」程度の意見や感想を語っても、本来の仕事にはなりません。

彼らは「個人の思いつきで終わらない人たち」でなければいけないのです。

ところが、そうした役割を果たすべき人たち――具体的な制度を語れる人(学者・知識人・評論家・メディア)が少ない。これが日本社会が変わらない理由の一つのように思います。
 

社会を変える道筋とは――

まずは、現場を知る人たち(現場で活動する人や団体・行政職員・学者など)が、問題を把握し、改善するための「制度」を提案する(※きっと多くの人が思いつくのは、フランスの経済学者トマ・ピケティ)。

次に求められる役割は、行動につなげる人たち――たとえば、制度案をわかりやすく世に伝える人(これぞ本当のインフルエンサー)とか、有権者の支持を得るための働きかけができる人(政治家)とか、最終的な意思決定に参加する人(議員)とか、実際に施行・対応する人(行政職員)とか・・・

こうした人たちがそろって初めて、制度が変わり、社会が変わるのだろうと思います。
 

社会が変わらないのは、当たり前といえば当たり前です。変わるための条件を何も満たしていないのだから。



こうした真相をふまえたうえで、「老害」という言葉の意味を考えてみると?

「老害」という言葉を語れば、鬱憤晴らしになるのかもしれない。人によっては、「そうか、高齢者を排除すれば、社会は改善されるんだ」と期待してしまうのかもしれない。けれど、

現実には、ほぼ確実に「何一つ変わらない社会」が残ります。

なぜかといえば、「制度」を変えようという発想がないから。しかも、変わらない社会の中で、ストレスは確実に増えていきます。
 
というのも「自分はこう思う、これが正しい」という思い込みは(「老害」というレッテル張りや、今日よく語られる世代論も含めて)、
 
自分が正しいと思いこむ人間と、その正しさを押しつけられ、排除される人間とを、作り出すからです。

制度は変わらないのに、個人の分裂・分断は増える――そうした風潮が強くなればなるほど、「自分は正しい」という妄想止まりの個人が増え続け、「社会」は社会でなくなっていきます。

問題は何一つ変わらず、社会には分断が、そして個人にはストレスが増えていく。

価値がないばかりか、危険でもあることが、見えてくる気がしないでしょうか。
 
そうした社会を肯定するのであれば、「(自分だけは)排除されない人生」を、椅子取りゲームのように奪い合う社会へと変わっていかざるをえないかもしれません。それは、もはや社会とも呼べない殺伐とした場所かもしれません。

レッテルを貼って排除する――こうした発想には、社会をいっそう縮小・衰退させてゆく、もっといえば破壊していきかねない危うさが、あるのです。


もともと社会とは、人間が生き延びるために、それぞれが役割を果たして創り上げた共同体です。

その共同体が発展した結果として、なるべく多くの人が、できることならすべての人が、大事にされる、安心して生きていける、そんな社会を作ろうという今があります。

こうした方向性を維持することが、最上の価値です。この点を「議論」することは、ほとんど意味はありません。逆の方向に踏み出せば、すべての人が(あなたも、私も)生きていく基盤である社会そのものを掘り崩すことになるからです。

そんなことをしなくても、社会を変える方法は、いくらでもあります。
「制度」を変えればいいだけです。
 
あきらめることも、ニヒリズム(虚無主義)を決め込むことも、レッテルを貼って排除することも、正しくありません。それは、滅びゆくことを受け容れることでしかありません。

個人の趣向・選択としてはあっていい(止められない)かもしれないけれど、社会にとって価値はないのです。
 

人間は生きていくこと。
社会は続いていくこと。
 
それが生命線(引き下がってはいけない一線)です。

生きることが個人の、続いていくことが社会の大前提である以上、目の前の問題は「改善する」しかないのです。めざす方向性は、その一択。

社会の問題は、制度を変えることで改善できます。
 
実現への道筋が見え、かつ苦しみを増やさない制度のあり方を具体的に提示して、
 
社会にとってどのような選択肢がありうるかを、明らかにすること。
 
それが出発点です。その出発点に立たせてくれる発言ならば、社会にとって価値を持ちます。
 

「私はこう思う」という個人止まりの言葉ではなく、制度本位の(どのような制度がありうるかという視点で考える)言葉こそが、社会にとって価値を持つということです。
 

「老害」という言葉は、社会にとって価値を持ちません。早めに「卒業」してもいいのかもしれません。



2024・3・13

壊れた国

(少し世俗に踏み込んだ話題)

今回の旅は、彼我の差――かの国とこの国との違い、もっとはっきりいえば落差を浮き彫りにするものになった。


インドにも深刻な問題は山積しているが、子供の数が減るというあからさまな可能性の喪失には、まだ直面していない。

次々に子供が生まれてくるから、歳を重ねる孤独を感じない。

人を信じる子供たちは向こうから飛び込んでくるし、勢いよく育っていく。

未来は、世界は、こうして続いていくのだろうなという安堵を、いつの間にか感じている自分に気づく。

だが、この国に帰ってきた途端に、そうした安堵は音もなく消失してしまう。

子供たちはマイノリティであって、日常に目にするのは、大人たちだ。平均年齢49歳という老いた国。

しかも一人一人が孤立し、分断しているようにも見える。頼れるものが少ない。そう感じている人々が多いように見える。

頼れる人、頼れるお金、頼れる制度・・・自分を支えてくれていたものが、崩れつつある。

まるで海に浮かぶ筏が沈んでゆくかのように。

そして耳に入ってきたこの国の現実――

能登半島地震から二か月が経ってなお、瓦礫の撤去は進まず、仮設住宅は申請数8000に対して完成した数はわずか300(4%未満)。

人手不足が理由の一つとも聞くが、当然の話だ。ただでさえ不足が叫ばれている建設業界の人材は、あの大阪・関西万博に取られているのだから。

その万博は、もはや工事が間に合わないことは確実だという。だが言い出しっぺの政治家たちはだんまりを決め込み、関西経済界のお偉い人は「成功させるつもりがないとは、けしからん」と息巻いているともいう。

彼らにどんな裏事情、打算計算があるのか知らないが、万博と、家を失い寒さに凍える人々の支援と、優先順位がどちらが上かといえば、明らかに後者だ。人々の生存・生活を越えて優先させるべきことなど、ほぼないに等しい。

予算、人材、資材、機材という有限のリソースをどこに使うかは、まさに優先順位の問題だ。

間に合わないことが確実な万博にリソースを注ぎ続け、被災地の支援・復旧は後回しにする。これが今起きている現実ではないのか。

資源の分配こそは政治の仕事だが、その政治が、優先順位を完全に間違えている。見捨てている。倒錯。機能不全。「まともな政治」と対比させるなら、狂気という形容さえ当てはまる事態が起きている。


残念なことに、万博への資源集中と、現地の復旧の遅れを結びつける報道・発言は、まだ私のもとには聞こえてこない。

見えていないのか。考えていないのか。なぜ優先順位を真っ先に検討すべき政治家が、議会・国会で取り上げないのか。

(※さらに聞こえてきたのは、裏金問題に続く某党青年局の過激ショー(?)の余興・・・言葉にするだけで心が汚れる。このどうしようもない現実をなんと言おうか。)

東京の救急出動は、ここ二年、過去の記録を上回る多さともいう。たしかに救急車のサイレンが日夜響き続けている。

コロナ&インフルの同時流行も原因か、とピントのぼけた推測を新聞は報じているが、感染流行の規模は、実はそれほどの勢いはない。

あるように見えるのは、定点観測の数値を執拗に流し続けるからだ。本当にそれが事実なら救急出動数に占める感染症患者の割合を公表すればよいのに、それはしない。印象操作に近いところがある。

過去にも季節性インフルエンザの大流行はあったし、その規模は、最近の流行をはるかに上回っていたが、救急出動がこれほどの数値を記録することはなかった。

原因は他にある。その原因を追究することが、ジャーナリズムおよび行政・政治家の使命ではないのかとも思う。



奈良・五條市では、県有地の利用計画を新知事が突如変更して、なんと25ヘクタールに及ぶ敷地内にメガソーラーを設置すると言い出したそうだ。

そのような計画を、住民たちは承知していない。そんなことのために代々守ってきた土地を譲ったわけでもない。だが知事は「法令違反はない」と強弁していると聞く。

あの緑豊かな大和の大地を、無機質な黒の金属物が覆いつくすのか。

間近に見続けなければいけない住民たちの思い、住環境、未来はどうなるのか。

景観を破壊し、県民の信頼を平然と踏みにじり、住民たちに殺伐を強いて平気でいられる人間の感性とは、どういうものだろう。

ちなみにあまり聞こえてこないが、あの吉野山にもメガソーラーが造られている。目が傷む。



この国は、明らかにおかしい。壊れているとさえ言っていいのかもしれない。

能登半島地震から13年さかのぼるこの日、東北であの大震災が起きた。2万2222人が命を失い(行方不明の方々も含む)、それを上回る数の人々(約3万人)が故郷を失った。

13年経って、何が変わったのだろう。希望は増えたのだろうか。

いや、答えは真逆だ。明らかに減っている。凄まじい勢いで壊されてきている。

今なお、野晒しにされる人々、景観を破壊される人、未来に希望を見出せない人が、数多く存在する。その数は増えている。


その最大の犯人は何かと言えば、”壊れた政治” であろうとやはり思う。

この国の政治は、まともではない。犯人は人間たちだ。



追記:

と語りながらも、では何を行動に移すかという話に移ると、正直に告白して、出家としての自らの立ち位置にぶち当たる。

あのブッダは、故郷が滅びゆくのを結局見届けることしかしなかった。

ならばこの命は?――出家に留まるのか、出家の線を越えるのか。行き着くのは、いつもこの葛藤だ。


追悼
2024年3月11日

再び「禁止の国」へ

 
(インドから日本へ)

いつしか日本に戻るたびに、奇妙な違和感を覚えるようになった。今回もだ。

最初は、日本に近づく機内でのアナウンス。税関と検疫の案内。「違反した場合は…」と細かい罰則の説明つき。添乗員が紙の束を持って機内を回っている。いまだに入国審査に紙を使っているのか。

そして成田空港。見晴らしの良いガラス窓は最初だけで、すぐ四方を壁が覆うようになる。そして「日本ではこんなことをしたら罰せられます」というイラストつきの「警告」が始まる。

見通しが悪く、照明は暗く、アレをしてはダメ、これをしては罰則と、ダメ出しの告知ばかりが目に入る。そして、ところどころに直立不動の制帽、メガネ、白マスクの職員が立っている。

ニンテンドーのキャラクターが「ようこそ日本へ」と通路の最後あたりにやっと出てくるのだが、日本にたどり着いた高揚感は、飛行機を降りて間もなく消沈して、歓迎されている気がまったくしない。

◆禁止文化のルーツ

気づく人は多くないのかもしれない。だが心は、言語情報をとらえると、瞬時に意味を読み取る。本人が気づかないだけ、あるいは見て生まれる反応が感情・思考レベルに至らないだけで、意識レベルでは、心は十分に意味を読み取り、また相応の反応をしているものだ。

成田空港って刑務所に雰囲気が似ていないか、とふと思った。入管庁によるビザ切れ外国人への不当な処遇(死者も出ている)がたびたび聞こえてくるが、何か根底でつながっているのか・・・。

思い当たったのは、入管庁も、空港を管轄する国土交通省も、ルーツはあの ”内務省” だということ。悪名高き特高も含め、警察・行政権力を牛耳っていた、戦前の”最強官庁”だ。その文化的遺伝子が残っているのかもしれない。

そういえば、かつての日本航空の機内アナウンスもそうだった(今はどうか知らないが)。十項目くらいの「機内でやってはいけないこと」を各席モニターで告知し、項目ごとに赤いバッテンマークと「ブブ―ッ」の警告音つき。「快適な空の旅をお楽しみください」がブラックジョークに聞こえてしまった。

成田空港とJALは、メンタルが共通しているのか。監督官庁は国土交通省で、そのルーツは旧内務省。いずれも、国土交通省キャリアの天下り先?(いちいち調べないが、その可能性は低くない)。

案の定、通路の壁に「首都高」(首都高速道路公団)のPRが(国土交通省の管轄下)! しかも「高速に徒歩や自転車で入ってはいけません、逆走は禁止です」という見事なダメ出し・・(外国人がわざわざ高速に歩いて入るかい?)。なんとわかりやすい上から目線の官僚的発想。


実に成田空港らしい(?)「警告」


入国審査のフロア入口には、「世界のどこそこで〇〇熱や感染症が流行中」という警告が並ぶ。しかもよれよれの紙で。

税関申告は、いまだ紙。QRコード読み込みで携帯でも可能になったそうだが、それを知らせる掲示も、よれよれの紙。

なんというか、この空港は見た目が「しょぼい」。

これまでいくつかの国際空港を通ったが、これほど多くの警告は見た覚えがない。わざわざ紙に手書きして、係官に事細かに確認されて。今やインドでさえ、パスポートをスキャンして入国・出国手続き完了というのに(指紋と顔写真は撮られたが)。

しかも他国の国際空港は、私の限られた印象でしかないが、開放的で、斬新なオブジェや壮麗なモニュメントがしつらえてあって、歓迎と豊かさ(たとえ国の現実から離れているとしても)をアピールしようという工夫が見られた。

成田空港はそうではない。世界有数の「陰鬱な空港」かもしれないとさえ思う。 官僚目線の「入らせてやる」的な高圧感。目と耳に入ってくるのは、監視と禁止とお説教……無数のダメ出しだ。

◆日本人が縮んでゆく理由

ふと思ったが(帰国早々、こうした思考をめぐらせねばならぬところは哀しいが)、この“ダメ出しまくり”の成田空港こそは、日本社会の象徴かもしれないと思えてきた。

「あれをしちゃいけません、これもダメです。違反したら罰せられます」と、やたらと多い禁止令。統治者目線による監視と禁止。
いわば官僚メンタルとも呼べる発想が、官庁や管轄下の組織に滲(にじ)み出てくるのかもしれない。

これを受け取る人間の心は、どんな影響を受けるか。心は本来「禁止」を予想していない。だからいきなり「ダメ」と言われたら、それだけで自分が否定されたかのような窮屈さ、戸惑いを覚える。

あまりに禁止が多いと、「これも禁止されているのでは?」と自分の発想や行動に自己検閲をかけるようになる。「どうせ叱られる・罰せられるなら、何も言わない、しないほうがいい」と考えるようにもなる。

消極策が安全策。目立つことより埋没すること、語ることより沈黙するほうが、安全だと思うようになる。かくして、つねに他人の目(監視と禁止)を先に見る性格が醸成されていく。

ちなみに、こうした環境の典型――監視と禁止の積み重ねによる、自己検閲・自己規制メンタルを摺り込んでいる場が、もうひとつある。学校だ。

全国には今も、これが本当に21世紀かと目を疑うほどに無意味な校則を敷く学校があると聞く(「下着の色は〇色に限る」みたいな)。自己決定権・人格権の侵害とさえ言えなくもない、やりすぎの監視と禁止。

そして文科省による全国一律の(過剰)規制。中央から都道府県さらに市町村の教育委員会へと下される上意下達の教育行政。

教育行政も、あの戦争が終わるまで、事実上、内務省が牛耳っていた。おお、見事なまでにルーツが同じだ。

禁止は自由の否定である。
自由を否定されることは、自分を否定されることである。

だから禁止が増えるほど、自己否定が増える。管理・統制・命令・罰則・・・どれも禁止のバリエーションだ。

禁止することを当たり前だと思っている。自分たちは人の言動を禁止し命令できると思い込んでいる。時代錯誤にして旧態依然。そうした発想を信じきって疑わない。

それが、成田空港ではしょぼさと陰鬱さとして出てくるし、学校においては過剰規制となって出てくるのか。


となると「自己肯定感が低い」日本人が多いのは、明治期に由来する官僚メンタルに起因するということか。まさかと思ってみるが、可能性としては否めない。統治する側からされる側への禁止と規制。される側は、おのずと合わせて思考し、行動するようになる。

結果としての、出る杭を打つ、周囲の顔色・様子を見て同調する、目立つことより埋没を選ぶ行動様式だ。人々は自信を失い、社会全体が萎縮してゆく。

これは脈々と受け継がれてきた、しかも言語化されないまま再生産されるという(最もタチが悪いと言えなくもない)日本人の精神的風土であり、文化であり、伝統みたいなものかもしれない。

◆最後は「何も考えるな」

しかし、なぜここまで禁止しようとするのだろう。なぜいつまでも旧態依然としたやり方を繰り返して平気でいられるのだろう。

そうか、彼らは何も考えていないのだ。思考停止。前例踏襲。現状維持。

「言われたことはやってます」「やることはやってます」(だから自分は悪くありません)という自己保身。最もラクといえばラクな選択だ。

もしこの空港に、改善・創造・歓迎というポジティブな価値が念頭にあれば、とっくの昔に入国手続はタッチパネル&デジタル化できたであろうし、掲示内容だって一変するはずだ。道路公団だって「さあ、高速道路網を使って Discover Deep Japan!」的なポジティブなPRをするだろう。

ところが現実は禁止、警告、いまだに「よれよれの紙」と「手書き」。「やることやってます(だから私は悪くありません)」という自己保身で終わり。時代に遅れ、かつ無粋・粗雑に見られていることには、気づかない。

何も考えないからこそ「禁止」するのだ。禁止して、他者の行動を規制する。そうすることで、考えない自分との同化を求める。

「自分は考えないから、おまえも考えるな」 

(おまえが考えると自分も考えないといけなくなる。それはしんどい、だから何も言うな、考えるな)という同調の強制だ。

考えない人間にとって、考える人間・モノ言う人間・行動する人間は、思考を強いられる面倒な存在だ。自分の権威と安全を脅かす存在――だから禁止しようとする。

そうか――禁止と思考停止(考えない心)は親和性を持つということか。

という仮説にたどり着いたところで、最後の目隠し扉を潜り抜けて、ようやく「出獄」した。

◆溜まっていく禁止令

さらに印象的だったこと――京成電車では「不審な物を見かけたら」のアナウンス。これは、あのオウム事件で全国が騒然となった時に始まった警告だ。騒動が収まったらやめればいいのに、三十年経ってなおやっているのだ。

「やめる」という判断には思考が要る。思考しない人間は、やめることができない。一度やってしまったことは、誰かに「やめろ」と命じられるまで、延々とやり続ける。

考えないからこそ、止められない。「引き算」ができない。

こうして無駄なもの、なくていいもの、人の心に負荷をかけ憂鬱にするダメ出し・干渉・禁止が、残像のように重なって増えていく。

思えば、「ご理解とご協力をお願いします」も間接的なダメ出しといえなくもないし、今なお続くコロナ注意報「先週比0.7倍」(減っている)も、根底にある発想は同じだ。まず禁止。その後は誰も引き算しない。

かくして無数のダメ出しを強いられる人々は、言語化できないレベルで、自由を失っていく。気が滅入るのも道理ではないか。

そうか、この国は「禁止の国」なのか。この国の人々は、総鬱状態に入りつつあるのかも――。


◆幸福感の希薄な国

と思いつつ日暮里駅に降りると、ちょうど通勤時間で駅に並ぶ人々の姿が見えた。


みな「うなだれて」見えた。同じ角度で下を向いている。スマホを眺めていた。誰とも話さない。目も合わせない。

その姿と蕭然(しょうぜん)と降る小雨とが重なって、なんだか物悲しい墨絵を見たかのような気分になった。みんな、何を見ているのだろう。どこに向かっているのだろう。


まるで違う星だ。昨日までいたあの星、つまりはインドのあの小さな村で見た光景は「圧倒的」だった。圧倒的にみんな元気で、幸せに満ちていた。

幸せを作り出しているのは、禁止が限りなく少ない日常と、その中でのびのびと遊んで育つ子供たちだ。あの村の”幸福密度”は、圧倒的だった。


自分があの地の良いところだけを良いように見ている可能性は否定しないが、しかし翻ってこの国の人たちが、幸せに生きている、幸せを増やしているようには見えない。

この国に入った途端に感じた「禁止令」だけでも、かなり幸せを阻害しているように思う。

禁止と思考停止と同調と・・・この国の人々は、みずから幸せを減らしているのだ。可能性を相当に殺している。

もし禁止を解除したら――もっとおおらかで、気軽で、寛容で、自由を認め合う社会であったら、見違えるほど気が晴れるのではなかろうか。


帰ってきた途端にこれだけの疑問と思考が・・・こんなに自分ってネガティブな性格だったかと思うくらいに、さまざまなことを考えてしまった帰国一日目だった。



追記 後日ファミレスに入って日本の空気を久々に感じていたら、隣のテーブルに4人家族が座ってきた。小さな女の子が2人。

「シーッ、静かにしなさい、でないと帰るよ」と若いお母さん。

私に向けて「すみません」と謝ってきた・・。

お母さんに謝らせるような社会に、誰がした? 

やっぱり今回の”発見”は正しいのかもしれない。

過剰な禁止令に埋(うず)もれる国――。

みんな、かわいそうすぎるよ、もっと優しくなろうよ、と義憤に駆られた小学生のような気分になってしまったのでありました。


帰りに寄った銭湯のポスター 
同じ注意書きでも、目線の高さでこれだけ違う




2024年2月下旬

さっそく危機感


ところで、今、紙の新聞が部数を減らしているのだとか。新聞で情報を取り、また様々な出来事について考えるという使い方をしない人が増えている・・・。

考えるのは、紙の新聞が縮小することで得られるプラスと、失うマイナス。

マイナスだってあるんじゃないのかな。ネットニュースとSNSだけでは、得られないプラスもあるのでは?

小学生の頃から、新聞を通して世の中のことを学んできた。そうした記憶がある身としては、新聞文化の衰退は、やはり淋しく思います。


その一方で、新聞・TVに代表されるマスメディアに物足りなさ、もっといえば不満を感じざるをえないことも事実。あればいいなと思うのは、

➀紙の新聞購読者は電子版もおまけで(無料で)利用できるとか、

②紙外第三者のサイト・ブログ・対談イベント等の話題・視点・情報を探して(キュレーションして)掲載するとか(:Newsweekが使っている手法/自発的に発信しているくらいだから原稿料はほぼ不要にできるかも?)、

③長期にわたって保存価値のある情報を整理したページとか(図鑑・資料的な/新聞の立ち位置にとらわれず総合的・立体的な視点で、課題・論点・情報を整理する)


・・・「紙&配達」以外の利点があれば、ということ。


現状、各新聞とも立場が固まっていて別の視点を拾えない(政治的立場で最初から分かれてしまっている)とか、即時情報はネットニュースで足りてしまうといった要素も不利に働いているのでは?とも考えます。

個人的には、整理された情報を、限られた範囲のみ(1日ごとに区切りがある)、落ち着いて読めることは、最大のメリット。あとは ”保存価値の高い情報” がもっと欲しい、というのが新聞一般への印象。

持続的に集めれば一冊の本になるくらいの保存価値ある情報・資料・知識・見解が一定量を越えれば、独自の商品価値を持ち始めるような気もしています。

「月数千円」が安いと思えるくらいの中身を、新聞社以外にリソースを見つけて充実させるということ。

帰国後最初に見た記事が、能登半島の仮設住宅が申請数8000に対して完成済みが300ほどしかなく、まだ瓦礫撤去も進んでいないという報道。

人も機材も大阪・関西万博に取られていることが背景にあるのでは? と素人目にもわかるのに、二か所に起きている現実をつなぐ報道がない???というのが印象的でした。このあたりが物足りない。

つなぐ「視点」があれば、世論形成にもつながるだろうのに、情報が分断されたままなので、読者はフーンで終わってしまう。

ジャーナリズム本来の使命・あり方が弱体化している印象が伝わってきます。総じてこの国には、中立・公平な視点で事実をつなげて考える(総合的)知性が、新聞、テレビ、アカデミズム(学者・専門家)全般にわたって、ない(弱い)気がしてきます。

 
帰国して、いろいろと日本社会の問題ばかり見えてきて、さっそく危機感を感じているこの頃です――。

 

 2024年3月8日

「そんなことはないよ」


インドから帰ってきて受け取ったのは、あたたかい励ましのメッセージ。

いつも以上に身に沁みた気がします。

というのも、インドから帰るときは、自分をリセット・・・再びゼロに帰るようにしているので。

かつて日本に帰ってきたときは、誰も知る人がいない完全に無の状態でした。今もその心境で毎回戻ってくるのですが、

今回は、日本でもつながっている人たちがいてくれて、励ましてくれたりなんかもしてくれるので、「なるほど、そういうプラスもあるのかぁ」と(少しは)思い直すことができました。

さらに掘り下げると、出家というのは、最初に人の苦しみを見るので、その苦しみを減らせなかった(助けられなかった・・・という言い方をすると、おこがましく聞こえなくもないですが)事実を最初に見てしまいます。

結果的に、仏教(つまりはこの命)は無力、非力・・・という感想も出てきてしまいます。

「自分のことだけ」でいいのであれば、いくらでもポジティブ・楽観を選ぶことはできますが、出家というのは、そういう生き方はしない生き物なので。

正直、あまり(ぜんぜん)ラクではありません。別の苦労を背負ってしまう生き方のような気がします。

それでも「そんなことはないよ」と言ってくれる優しい人たちが今はいることも事実なので、その事実はありがたく覚えておくように努力いたします(^ ^)。

 

2024年3月8日

 

試験直前に効く心がまえ


試験直前に効く心がまえ:

自分で決めた日から「願掛け」してください。その日からは無駄なことに時間を使わないようにするのです:


●いつからでもよいですが(今日からでも)、一つの「誓い」を立てます。 
「私は今日○月○日を最後に、余計なものに手を出しません」

「どんなに苦しくなっても、○年○月○日の本番まで必要なことだけに専念し続けます」

そう決意した日から、無駄なものには手を伸ばさないようにします。たとえばスマホをダラダラ見てしまったりすること。連絡事項の確認など必要なことに使うぶんには仕方ないかもしれませんが、それ以外のムダは遮断します。それ以外の遊びも、なるべく入れないようにします。

※この「ムダなものに手を出さない」のは、妄想を増やさないためです。妄想は、「つい息抜き」「ダラダラスマホ」といった心のスキマに生まれます。

一度生まれると、妄想は強力なので、なかなか勝てません。その日をムダに過ごしたり、不安になったり、「試験に落ちる理由」まで考えだす人もいます。「妄想するスキを作らない」ことが、この<願掛け>の目的です。


●ついでに「儀式」も行うことをオススメします。

つまり、心のなかで「○月○日から試験勉強に専念するぞ」というXデーを決めて、その前日にマンガなどの娯楽品を遠ざけます。どこかお気に入りの場所に出かけて、自分の大好物を食べて(次回食べられるのは目標達成後)、

「私は今日から『全力一〇〇パーセントの毎日』を過ごします!」と誓いを立てて帰ってくるのです。

※「もう試験直前」という人は、なるべく短い時間でケリがつく儀式をしてください。食後のデザートを「試験前の最後の晩餐」として噛みしめながら食べるとか(笑)。

そこから先は、生活そのものを「願掛け」として過ごします。たとえば、朝は決めた時間に必ず起きる、食べ過ぎない、スマホ・動画を見ない、テレビやインターネットは絶対に封印する……といったことです。

この願掛け期間だけは「失敗の可能性を1%も増やさない」ように全力を尽くすのです。


●試験当日にベスト・パフォーマンスを発揮したければ、「この日から本番まで、「負けにつながる1%を作らない」ことに全力を尽くしてください。

「負けにつながる1%」を作らない期間(〇日間)を過ごせたら、その期間内は「勝ちにつながる100%」だけになります。不安という妄想も、その期間だけはシャットアウト。これが「絶対の自信」になります。

「勝負は下駄を履くまでわからない」と、よく言いますよね。試験はその典型です。だからこそ過去は関係ありません。過去の迷いもグズグズも無駄に過ごした時間も模試の成績も、願掛け期間に入ったら、ぜんぶ忘れます。ここからが勝負。

「この日から」と決めた日からは「勝ち100%」の一日を過ごす。それを、二日、三日・・・そして本番まで続けるのです。


●メンタルをコントロールするのは難しいものですが、期間限定なら勝てる確率は上がります。「この最後の期間だけは100%勝つ!」ことに挑むのです。

もしまた崩れたら、その日から<願掛け>をやり直す。開き直る。最後は強気で行く。「あと〇日」と決めた日から、コレを始めます。

特にラスト3日は、最後の願掛け期間です。何も考えないこと。それが自信です。

3,2,1日、そして当日。


●もうひとつは全体をよく見ることです。全員受かってもおかしくないし、実際に全員受かってきた試験です。準備したことをそのまま無心に(妄想なく)発揮すれば、ほぼ確実に結果が出るのですから、後はフツーに試験を受けてくればいいだけです。


健闘を祈ります。では<願掛け>始めましょう!


2024年1月下旬


未来を生きるということ

出家・草薙龍瞬、インドをゆくから ※一定期間後に「インドをゆく」に移動します)
 

最終日の土曜は、学校の朝礼でお別れの挨拶。「来年また戻って来るから、それまで学校を楽しんでください。全体をよく見ること。環境を大事にすること、特に植物はかわいがってね」
 
そして締めのラジオ体操(第一(笑))。
 

子供たちの中にいると、自分は去りゆく命だが、と同時に未来を育てゆく働きの一部であることを実感する。

自分の老いや死を見れば孤独を感じるのかもしれないが、そんなことはごく当たり前の自然の摂理であって、次の世代や幼い子供たちを育てることで、自分もまた育ちゆく未来の一部になることができる。

老いや死を克服することは、案外簡単なことで、小さな自分にとらわれずに、未来を育てることを喜びにすればよいことなのだと思える。

どんどん育ってくれれば、それが自分の幸せになるのだ。


みんなで記念撮影 大人たちも未来の中にある


荷物をまとめてラケシュの家に行くと、仲間たちが見送りに来てくれていた。婦人も青年たちも。

ラケシュの車に乗って出発。みなが手を振って見送ってくれた。


空港では、ラケシュの兄と学生寮の生徒たちが待ってくれていた。

毎回、手を振って見送ってくれる。その姿をいつまでも覚えておきたいといつも思いつつ、空港の中に入っていく。


この地には、すべてがそろっているようにも思う。

この体が二つあれば、すべて解決するのだが――。




空港で見送ってくれた仲間たち 
彼らと出会えただけでこの時代に生まれてきた意味があろうというもの



2024年2月下旬