再び「禁止の国」へ

 
(インドから日本へ)

いつしか日本に戻るたびに、奇妙な違和感を覚えるようになった。今回もだ。

最初は、日本に近づく機内でのアナウンス。税関と検疫の案内。「違反した場合は…」と細かい罰則の説明つき。添乗員が紙の束を持って機内を回っている。いまだに入国審査に紙を使っているのか。

そして成田空港。見晴らしの良いガラス窓は最初だけで、すぐ四方を壁が覆うようになる。そして「日本ではこんなことをしたら罰せられます」というイラストつきの「警告」が始まる。

見通しが悪く、照明は暗く、アレをしてはダメ、これをしては罰則と、ダメ出しの告知ばかりが目に入る。そして、ところどころに直立不動の制帽、メガネ、白マスクの職員が立っている。

ニンテンドーのキャラクターが「ようこそ日本へ」と通路の最後あたりにやっと出てくるのだが、日本にたどり着いた高揚感は、飛行機を降りて間もなく消沈して、歓迎されている気がまったくしない。

◆禁止文化のルーツ

気づく人は多くないのかもしれない。だが心は、言語情報をとらえると、瞬時に意味を読み取る。本人が気づかないだけ、あるいは見て生まれる反応が感情・思考レベルに至らないだけで、意識レベルでは、心は十分に意味を読み取り、また相応の反応をしているものだ。

成田空港って刑務所に雰囲気が似ていないか、とふと思った。入管庁によるビザ切れ外国人への不当な処遇(死者も出ている)がたびたび聞こえてくるが、何か根底でつながっているのか・・・。

思い当たったのは、入管庁も、空港を管轄する国土交通省も、ルーツはあの ”内務省” だということ。悪名高き特高も含め、警察・行政権力を牛耳っていた、戦前の”最強官庁”だ。その文化的遺伝子が残っているのかもしれない。

そういえば、かつての日本航空の機内アナウンスもそうだった(今はどうか知らないが)。十項目くらいの「機内でやってはいけないこと」を各席モニターで告知し、項目ごとに赤いバッテンマークと「ブブ―ッ」の警告音つき。「快適な空の旅をお楽しみください」がブラックジョークに聞こえてしまった。

成田空港とJALは、メンタルが共通しているのか。監督官庁は国土交通省で、そのルーツは旧内務省。いずれも、国土交通省キャリアの天下り先?(いちいち調べないが、その可能性は低くない)。

案の定、通路の壁に「首都高」(首都高速道路公団)のPRが(国土交通省の管轄下)! しかも「高速に徒歩や自転車で入ってはいけません、逆走は禁止です」という見事なダメ出し・・(外国人がわざわざ高速に歩いて入るかい?)。なんとわかりやすい上から目線の官僚的発想。


実に成田空港らしい(?)「警告」


入国審査のフロア入口には、「世界のどこそこで〇〇熱や感染症が流行中」という警告が並ぶ。しかもよれよれの紙で。

税関申告は、いまだ紙。QRコード読み込みで携帯でも可能になったそうだが、それを知らせる掲示も、よれよれの紙。

なんというか、この空港は見た目が「しょぼい」。

これまでいくつかの国際空港を通ったが、これほど多くの警告は見た覚えがない。わざわざ紙に手書きして、係官に事細かに確認されて。今やインドでさえ、パスポートをスキャンして入国・出国手続き完了というのに(指紋と顔写真は撮られたが)。

しかも他国の国際空港は、私の限られた印象でしかないが、開放的で、斬新なオブジェや壮麗なモニュメントがしつらえてあって、歓迎と豊かさ(たとえ国の現実から離れているとしても)をアピールしようという工夫が見られた。

成田空港はそうではない。世界有数の「陰鬱な空港」かもしれないとさえ思う。 官僚目線の「入らせてやる」的な高圧感。目と耳に入ってくるのは、監視と禁止とお説教……無数のダメ出しだ。

◆日本人が縮んでゆく理由

ふと思ったが(帰国早々、こうした思考をめぐらせねばならぬところは哀しいが)、この“ダメ出しまくり”の成田空港こそは、日本社会の象徴かもしれないと思えてきた。

「あれをしちゃいけません、これもダメです。違反したら罰せられます」と、やたらと多い禁止令。統治者目線による監視と禁止。
いわば官僚メンタルとも呼べる発想が、官庁や管轄下の組織に滲(にじ)み出てくるのかもしれない。

これを受け取る人間の心は、どんな影響を受けるか。心は本来「禁止」を予想していない。だからいきなり「ダメ」と言われたら、それだけで自分が否定されたかのような窮屈さ、戸惑いを覚える。

あまりに禁止が多いと、「これも禁止されているのでは?」と自分の発想や行動に自己検閲をかけるようになる。「どうせ叱られる・罰せられるなら、何も言わない、しないほうがいい」と考えるようにもなる。

消極策が安全策。目立つことより埋没すること、語ることより沈黙するほうが、安全だと思うようになる。かくして、つねに他人の目(監視と禁止)を先に見る性格が醸成されていく。

ちなみに、こうした環境の典型――監視と禁止の積み重ねによる、自己検閲・自己規制メンタルを摺り込んでいる場が、もうひとつある。学校だ。

全国には今も、これが本当に21世紀かと目を疑うほどに無意味な校則を敷く学校があると聞く(「下着の色は〇色に限る」みたいな)。自己決定権・人格権の侵害とさえ言えなくもない、やりすぎの監視と禁止。

そして文科省による全国一律の(過剰)規制。中央から都道府県さらに市町村の教育委員会へと下される上意下達の教育行政。

教育行政も、あの戦争が終わるまで、事実上、内務省が牛耳っていた。おお、見事なまでにルーツが同じだ。

禁止は自由の否定である。
自由を否定されることは、自分を否定されることである。

だから禁止が増えるほど、自己否定が増える。管理・統制・命令・罰則・・・どれも禁止のバリエーションだ。

禁止することを当たり前だと思っている。自分たちは人の言動を禁止し命令できると思い込んでいる。時代錯誤にして旧態依然。そうした発想を信じきって疑わない。

それが、成田空港ではしょぼさと陰鬱さとして出てくるし、学校においては過剰規制となって出てくるのか。


となると「自己肯定感が低い」日本人が多いのは、明治期に由来する官僚メンタルに起因するということか。まさかと思ってみるが、可能性としては否めない。統治する側からされる側への禁止と規制。される側は、おのずと合わせて思考し、行動するようになる。

結果としての、出る杭を打つ、周囲の顔色・様子を見て同調する、目立つことより埋没を選ぶ行動様式だ。人々は自信を失い、社会全体が萎縮してゆく。

これは脈々と受け継がれてきた、しかも言語化されないまま再生産されるという(最もタチが悪いと言えなくもない)日本人の精神的風土であり、文化であり、伝統みたいなものかもしれない。

◆最後は「何も考えるな」

しかし、なぜここまで禁止しようとするのだろう。なぜいつまでも旧態依然としたやり方を繰り返して平気でいられるのだろう。

そうか、彼らは何も考えていないのだ。思考停止。前例踏襲。現状維持。

「言われたことはやってます」「やることはやってます」(だから自分は悪くありません)という自己保身。最もラクといえばラクな選択だ。

もしこの空港に、改善・創造・歓迎というポジティブな価値が念頭にあれば、とっくの昔に入国手続はタッチパネル&デジタル化できたであろうし、掲示内容だって一変するはずだ。道路公団だって「さあ、高速道路網を使って Discover Deep Japan!」的なポジティブなPRをするだろう。

ところが現実は禁止、警告、いまだに「よれよれの紙」と「手書き」。「やることやってます(だから私は悪くありません)」という自己保身で終わり。時代に遅れ、かつ無粋・粗雑に見られていることには、気づかない。

何も考えないからこそ「禁止」するのだ。禁止して、他者の行動を規制する。そうすることで、考えない自分との同化を求める。

「自分は考えないから、おまえも考えるな」 

(おまえが考えると自分も考えないといけなくなる。それはしんどい、だから何も言うな、考えるな)という同調の強制だ。

考えない人間にとって、考える人間・モノ言う人間・行動する人間は、思考を強いられる面倒な存在だ。自分の権威と安全を脅かす存在――だから禁止しようとする。

そうか――禁止と思考停止(考えない心)は親和性を持つということか。

という仮説にたどり着いたところで、最後の目隠し扉を潜り抜けて、ようやく「出獄」した。

◆溜まっていく禁止令

さらに印象的だったこと――京成電車では「不審な物を見かけたら」のアナウンス。これは、あのオウム事件で全国が騒然となった時に始まった警告だ。騒動が収まったらやめればいいのに、三十年経ってなおやっているのだ。

「やめる」という判断には思考が要る。思考しない人間は、やめることができない。一度やってしまったことは、誰かに「やめろ」と命じられるまで、延々とやり続ける。

考えないからこそ、止められない。「引き算」ができない。

こうして無駄なもの、なくていいもの、人の心に負荷をかけ憂鬱にするダメ出し・干渉・禁止が、残像のように重なって増えていく。

思えば、「ご理解とご協力をお願いします」も間接的なダメ出しといえなくもないし、今なお続くコロナ注意報「先週比0.7倍」(減っている)も、根底にある発想は同じだ。まず禁止。その後は誰も引き算しない。

かくして無数のダメ出しを強いられる人々は、言語化できないレベルで、自由を失っていく。気が滅入るのも道理ではないか。

そうか、この国は「禁止の国」なのか。この国の人々は、総鬱状態に入りつつあるのかも――。


◆幸福感の希薄な国

と思いつつ日暮里駅に降りると、ちょうど通勤時間で駅に並ぶ人々の姿が見えた。


みな「うなだれて」見えた。同じ角度で下を向いている。スマホを眺めていた。誰とも話さない。目も合わせない。

その姿と蕭然(しょうぜん)と降る小雨とが重なって、なんだか物悲しい墨絵を見たかのような気分になった。みんな、何を見ているのだろう。どこに向かっているのだろう。


まるで違う星だ。昨日までいたあの星、つまりはインドのあの小さな村で見た光景は「圧倒的」だった。圧倒的にみんな元気で、幸せに満ちていた。

幸せを作り出しているのは、禁止が限りなく少ない日常と、その中でのびのびと遊んで育つ子供たちだ。あの村の”幸福密度”は、圧倒的だった。


自分があの地の良いところだけを良いように見ている可能性は否定しないが、しかし翻ってこの国の人たちが、幸せに生きている、幸せを増やしているようには見えない。

この国に入った途端に感じた「禁止令」だけでも、かなり幸せを阻害しているように思う。

禁止と思考停止と同調と・・・この国の人々は、みずから幸せを減らしているのだ。可能性を相当に殺している。

もし禁止を解除したら――もっとおおらかで、気軽で、寛容で、自由を認め合う社会であったら、見違えるほど気が晴れるのではなかろうか。


帰ってきた途端にこれだけの疑問と思考が・・・こんなに自分ってネガティブな性格だったかと思うくらいに、さまざまなことを考えてしまった帰国一日目だった。



追記 後日ファミレスに入って日本の空気を久々に感じていたら、隣のテーブルに4人家族が座ってきた。小さな女の子が2人。

「シーッ、静かにしなさい、でないと帰るよ」と若いお母さん。

私に向けて「すみません」と謝ってきた・・。

お母さんに謝らせるような社会に、誰がした? 

やっぱり今回の”発見”は正しいのかもしれない。

過剰な禁止令に埋(うず)もれる国――。

みんな、かわいそうすぎるよ、もっと優しくなろうよ、と義憤に駆られた小学生のような気分になってしまったのでありました。


帰りに寄った銭湯のポスター 
同じ注意書きでも、目線の高さでこれだけ違う




2024年2月下旬