壊れた国

(少し世俗に踏み込んだ話題)

今回の旅は、彼我の差――かの国とこの国との違い、もっとはっきりいえば落差を浮き彫りにするものになった。


インドにも深刻な問題は山積しているが、子供の数が減るというあからさまな可能性の喪失には、まだ直面していない。

次々に子供が生まれてくるから、歳を重ねる孤独を感じない。

人を信じる子供たちは向こうから飛び込んでくるし、勢いよく育っていく。

未来は、世界は、こうして続いていくのだろうなという安堵を、いつの間にか感じている自分に気づく。

だが、この国に帰ってきた途端に、そうした安堵は音もなく消失してしまう。

子供たちはマイノリティであって、日常に目にするのは、大人たちだ。平均年齢49歳という老いた国。

しかも一人一人が孤立し、分断しているようにも見える。頼れるものが少ない。そう感じている人々が多いように見える。

頼れる人、頼れるお金、頼れる制度・・・自分を支えてくれていたものが、崩れつつある。

まるで海に浮かぶ筏が沈んでゆくかのように。

そして耳に入ってきたこの国の現実――

能登半島地震から二か月が経ってなお、瓦礫の撤去は進まず、仮設住宅は申請数8000に対して完成した数はわずか300(4%未満)。

人手不足が理由の一つとも聞くが、当然の話だ。ただでさえ不足が叫ばれている建設業界の人材は、あの大阪・関西万博に取られているのだから。

その万博は、もはや工事が間に合わないことは確実だという。だが言い出しっぺの政治家たちはだんまりを決め込み、関西経済界のお偉い人は「成功させるつもりがないとは、けしからん」と息巻いているともいう。

彼らにどんな裏事情、打算計算があるのか知らないが、万博と、家を失い寒さに凍える人々の支援と、優先順位がどちらが上かといえば、明らかに後者だ。人々の生存・生活を越えて優先させるべきことなど、ほぼないに等しい。

予算、人材、資材、機材という有限のリソースをどこに使うかは、まさに優先順位の問題だ。

間に合わないことが確実な万博にリソースを注ぎ続け、被災地の支援・復旧は後回しにする。これが今起きている現実ではないのか。

資源の分配こそは政治の仕事だが、その政治が、優先順位を完全に間違えている。見捨てている。倒錯。機能不全。「まともな政治」と対比させるなら、狂気という形容さえ当てはまる事態が起きている。


残念なことに、万博への資源集中と、現地の復旧の遅れを結びつける報道・発言は、まだ私のもとには聞こえてこない。

見えていないのか。考えていないのか。なぜ優先順位を真っ先に検討すべき政治家が、議会・国会で取り上げないのか。

(※さらに聞こえてきたのは、裏金問題に続く某党青年局の過激ショー(?)の余興・・・言葉にするだけで心が汚れる。このどうしようもない現実をなんと言おうか。)

東京の救急出動は、ここ二年、過去の記録を上回る多さともいう。たしかに救急車のサイレンが日夜響き続けている。

コロナ&インフルの同時流行も原因か、とピントのぼけた推測を新聞は報じているが、感染流行の規模は、実はそれほどの勢いはない。

あるように見えるのは、定点観測の数値を執拗に流し続けるからだ。本当にそれが事実なら救急出動数に占める感染症患者の割合を公表すればよいのに、それはしない。印象操作に近いところがある。

過去にも季節性インフルエンザの大流行はあったし、その規模は、最近の流行をはるかに上回っていたが、救急出動がこれほどの数値を記録することはなかった。

原因は他にある。その原因を追究することが、ジャーナリズムおよび行政・政治家の使命ではないのかとも思う。



奈良・五條市では、県有地の利用計画を新知事が突如変更して、なんと25ヘクタールに及ぶ敷地内にメガソーラーを設置すると言い出したそうだ。

そのような計画を、住民たちは承知していない。そんなことのために代々守ってきた土地を譲ったわけでもない。だが知事は「法令違反はない」と強弁していると聞く。

あの緑豊かな大和の大地を、無機質な黒の金属物が覆いつくすのか。

間近に見続けなければいけない住民たちの思い、住環境、未来はどうなるのか。

景観を破壊し、県民の信頼を平然と踏みにじり、住民たちに殺伐を強いて平気でいられる人間の感性とは、どういうものだろう。

ちなみにあまり聞こえてこないが、あの吉野山にもメガソーラーが造られている。目が傷む。



この国は、明らかにおかしい。壊れているとさえ言っていいのかもしれない。

能登半島地震から13年さかのぼるこの日、東北であの大震災が起きた。2万2222人が命を失い(行方不明の方々も含む)、それを上回る数の人々(約3万人)が故郷を失った。

13年経って、何が変わったのだろう。希望は増えたのだろうか。

いや、答えは真逆だ。明らかに減っている。凄まじい勢いで壊されてきている。

今なお、野晒しにされる人々、景観を破壊される人、未来に希望を見出せない人が、数多く存在する。その数は増えている。


その最大の犯人は何かと言えば、”壊れた政治” であろうとやはり思う。

この国の政治は、まともではない。犯人は人間たちだ。



追記:

と語りながらも、では何を行動に移すかという話に移ると、正直に告白して、出家としての自らの立ち位置にぶち当たる。

あのブッダは、故郷が滅びゆくのを結局見届けることしかしなかった。

ならばこの命は?――出家に留まるのか、出家の線を越えるのか。行き着くのは、いつもこの葛藤だ。


追悼
2024年3月11日