「心は歳を取らない」という生き方


「老害」という最近よく聞く言葉は、マクロの「制度論」と、ミクロの「人間関係論」に分けて、その意味を考える必要があります。

いずれの視点においても意味がない――というのが、仏教に基づく結論にはなります。もっと建設的なテーマ・表現に置き換えることが可能だからです。追って言葉にしていきたいと思っています。


ただ、こうした考察は、自戒しないと、まさに「私はこう思う」という我見(妄想)の延長にすぎなくなる危険があって、

その危険に気づかないままでいると、自分もまた「自分の意見以外は見えていない」独り善がりに陥ってしまいかねないので、

なるべく目線を低く、心を開いて、素朴な疑問を、素直な言葉で紡ぐ必要があります。(※本に書く時は、そのうえで知識や情報をつけ足します。この場所では、そこまではできませんがw)

「心が歳を取らない」ことが大事ということです--その練習はといえば、私の場合は、


外の景色を子供のように、というかまさに子供と同じ目線で見ること をしています^^。たとえば、

 

まだ寒い日が続いていますが、日差しはもう立派に春。透明で、あたたかくて。

外を歩いて、その光を、一切の自意識なく見つめます。

自意識をゼロにできれば、それは幼子が見る景色と同じになります。


「自分」を作っている日常の妄想(自意識のかけら)を完全に消すのです。


この命には、それが可能です。で、心をツルツルのピカピカにする――。

これが、自分にとっての一番の健康法です。


すると歳を取りにくくなります――あくまで”心の年齢”についてですがw。



ストレスを溜めないことは可能です