7月9日 岸和田での講演会。地元のNPOが主催してくださったもの。
200名ほどの方が足を運んでくださった。
僕がブッダに出会うまで~出家体験記 2年越しの第2弾。
前回は、2歳の時の体験から始まって、大学に入るまで(ブッダに会うには予想以上に時間がかかると判明(笑))。今回はその続き。
20代の頃の黒歴史(?)を初めてお話した。
10代は勢いで生きられる。
20代は勢いを制御できずに、失敗や脱線をしてしまう。
30代に入ると勢いが削がれて、次第に現実が見え始め、生きづらさや苦悩が増す人もいる。
ごまかしているうちに、あっという間に40代。仕事や子育てに忙しくて、自分の生き方を振り返る暇もない、そんな人も多い。
50代になると、人生には終わりがあることが見えてくる。
こうしてみると、人はなかなか自分が見えず、生き方をつかめないままに生きてしまう。そんな姿が見えてくる気がする。
私もその過程にいたことは確か。人生の途中で「出家」したことには、確かな理由がある。しかもよほどの理由がなければ、出家なんかしない。
ではどんな理由があったのか。そのあたりを、今回初めて、詳しくお話した。
本のプロフィールは、一見きれいにまとめている。でも実際の自分は、もっと不器用だし、失敗続き。さんざんさまよった。
何よりも愚かだった。生き方を知らなかった。
その愚かさ、未熟さは、ちゃんと心に取ってある。
愚かな自分というものに、正直でなければいけない。
出家というのは、そもそも生き方がわからないから選ぶものだ。
選ぶというより、愚かすぎるから、選ばざるを得なくなるのだ。
そうした過去をも、いずれは、伝えていかねばならないと思っている。自分にとっては黒歴史ではあるけれども、その部分に共通するものを見る人たちもいるだろうから。
自分に正直であることは、人との共通項を増やす。つながる部分が増える。
人は、違う人生を生きていても、同じような思いや体験をたくさんしているものだ。
その部分を、自分の中にあるものを、そのまま表に出す。
そのことで、「自分だけじゃないんだ」と思える人もいるだろうと思う。
私にとって言葉(本)は、自分をきれいに見せるためのものではなく、自分の中にある思いや体験を伝えて、それを接点にして、誰かとつながるためのものだと思っている。
あなただけではないよ、ということを伝えるためでもある。
終了後は、個人の相談を受ける。いつも同じ。講義や講演を引き受ける意味は、こうした機会を作るためでもある。
ふだんは直接やり取りできないが、こういう機会があれば、会って話ができる。
これも、あなた一人じゃないよ、という思いにもとづいている。
人と会うことは苦痛にならない。これは性分でもあるし、それだけ独りで生きた時間が長いからでもある(孤独な時間も覚えておこうと思う)。
だからどの場所においても、希望する人がいる限り、お話を聞くようにしている。
これからも同じ。どんなに忙しくても、人と向き合う時間を減らしてはなるまいと思う。
これも出家の流儀。
2024年7月9日