『ブッダを探して』(中日新聞・東京新聞連載中)は、ミャンマー編もいよいよ佳境。
「草木も生えない失望」に直面する局面に入ります。
私は敵を作ることが嫌で俗世から離れたのですが、この世はそもそも人の数だけ真実があり、誰もが自分にとっての真実に執着したがるものなので、
その中で自分にとっての真実を語れば、どうしたって対立が生まれてしまいます。そのことがすごく悲しいのです。
それが嫌なら、何も語らないほうがいい。目立たないほうがいい。メディアへの露出やSNSの利用を敬遠してきたことと、理由は共通しています。
単純に望んでいない。幸せが増えることだけを願っていたい。
ならば自分にできることだけを、極力小さく、伝わる人にだけ伝えていく。それが理想だと今も思っているのですが、
その一方で、真実が掘り起こされないままだからこそ、見えない人、気づけない人、道に迷う人、苦しみ続ける人も、たくさんいるわけで・・(とはいえ、こうした思いもまた正しさへの執着になってしまう危険があって、その危険を恐れることが出家の流儀=戒律なのですが)。
痛みが生じかねないことに配慮し、ためらいながらも、自分にとっての真実を語るしかない。そんな場面も今後増えてくる気がします。
新聞連載一つにもこれだけ細心の注意を払う・・・もともと出家は世俗にはなじまないのです。
そんな個人的なためらいを抱えつつ、
心の眼に映るすべてのものを昇華・洗練させて、
世に伝わる普遍的な価値を創り出していく――。
そんなテーマを抱えて、2025年の春に入ります。
どんな話題かは紙面でご確認ください