※講座内の質問に答えて(一部抜粋):
大人になるというのは、
①今の自分ならなんとかできる、
②理解してくれる大人は他にもいる(無理解な他者だけじゃない)
ということがわかること。
そこまで視野が広がって初めて、自分の怒りや「許せない」を相対化できるようになります。大人というのは、そういうことができるようになった状態です。
ただ、この人(質問者)の場合は、まだ心が子供のまま。なんとかできると思える状態にまで進んでいないし、理解してくれる大人というのは、実は世の中にたくさんいることを、実感レベルで理解できていないのだろうと思います。
それはなぜか?というと、ご自身の言葉の中に答えがあります。そう、父親があまりに大きく見えているから。ずっと父親のほうを見続けてきたからです。
この人は、父親にすさまじく執着していて、だからこそ怒りも「許せない」も、子供の頃とまったく同じレベルで燃やしているのです。
老いた親の姿を見て泣けてきたというのは、今の姿への同情(共感)もありうるけれども、心はたしかに往生際の悪いところがあって、
「今なら私の積年の願いがかなうのではないか」(つまりは良き父と子という関係を持てるのではないか)という方向に動いた可能性はあります。
その願いがかなう可能性があるなら、最後の親孝行をしてもよいとは思います。親の態度が変われば、「許せる」ようにもなるかもしれないし。その可能性はなくはありません。
他方、父親の地の部分が変わっていなくて、やっぱり怒りがぶり返す・・という事態もあり得ます。
この先の親との関わりは、「今の親の人間性」次第です。老いて素直になった、性格が変わった、呆けてしまった・・・いろんな理由はあり得ますが、
昔の親ではなくなった(少なくとも過去と同じ反応をしないですむようになった)なら、「新しい人」として向き合うことは可能です。新たな関わり方を選べばいいのです。
親との関わりは、①今の親のあり方(親というより一人の人間としてのあり方)と、②大人になった自分のあり方、の2つの組み合わせによって成り立ちます。
①も大事ですが、②も大事です。自分が大人になったといえるのか。過去の怒りや「許せない」を手放せたか。なぜ手放せないのか。
手放していないとしたら、自分の側の執着ゆえです。それは自分の側の選択であり、自分の問題。
遠い過去のことを、今なお怒り続けて、許せないと思い続けている。つまりは時間が止まったまま。子供のまま。執着の中に留まったままなのです。
過去はすでに終わっているのですよ。
だから過去と同じ感情を今に持ち込む必要は、本当はないのです。
過去は上書き&塗り替えることが可能です。
「大人になっていいのでは?」ということです。
2025年1月