新しい職場・新しい仕事


今週から始業式・入社式に入ったところも多いようです。新調のスーツを身にまとった若い人たちや、夜の歓迎会に繰り出す人たちに遭遇する機会が増えました。

今回は、仕事をめぐるおたより&相談への返答(抜粋)です。



この人の場合は、まずは就職することが必要です。クラウドソーシングで受注しようとしても、いろんなレベルの人たちが売り込んでくる場所なので、仕事が来ないばかりか、信頼を培うにも相当苦労する(ほぼ無理な人もいる)はずです。

ある程度のスキルがあって、起業して、独自のホームページ&ブログ作って宣伝して、お声をかけていただいた人たちに倍返しの貢献をして、実績を積み重ねて・・ということを続けて、

ようやく「やっていけるかも」という目途がつく人はつく(つかない人もいる)世界です。



みずから起業する代わりに、人様の看板を借りて体験を積めるのが就職です。

今回のおたよりの場合は、経歴詐称(盛ってしまう)を続けてきたということですが、これはキッパリとやめることです。

自分を偽っても力はつかないし、嘘をついているという事実そのものに心が支配されてしまうので、身が入らない → 力がつかない → 自信もつかない → なにか理由を見つけて辞めてしまう ことの繰り返しになってしまいます。

この人にできることは、①ウソにならない経歴だけを集めて、②もう一度人生をやり直すつもりで、③新しい職場で経験を積んで、生まれて初めての仕事だと思って、精一杯やることです。

つまりは、過去の経歴(嘘)は、自分の側でリセットしてしまうこと。今後に持ち込まないこと(それをやると再び迷路に入り込むから)。

今休職中らしいので、次の仕事への前準備として、できる範囲で勉強しておくことも、できることの範囲内かと思います。

偽りの経歴を入れず(盛らず)に見つかる仕事が、自分にとっての仕事です。今の自分にできる仕事。

それを見つけることはできないものでしょうか。それができたなら、それが自分にとっての本当のスタートラインになるので、

仕事の内容に求めすぎず、不満を抱えず(だって今の自分にとって偽りなくできるありがたい仕事なのだから)、謙虚に、3年、5年とやり続けることです。

本当の経歴・実績というのは、文句を言わずにやり続けた時間そのものなのです。

「これだけやり続けました」という事実こそが、次の仕事への売りであり、強みになるのです。

偽ることをやめて、等身大の自分になることです。人様よりも「低い」ところから始めること。

徹底して低いところに立って、他人・世間のどんな視線や評価も受け入れ続けること。

この人が今なすべきは、「底」にきちんと立つことなのです。これ以上低いところはないという「底」に。

やってみてほしいと思います。きっとできるはず^^。



2025年4月上旬



4月7日

 

4月7日は、あの日です。

 

この命も、遠いところからになってしまいますが、あの人のことを想っています。

 

ずっと手を合わせています。

 

 

 (このことにこの場所で触れるのは、今回で最後にします。

 

でも、ずっと想っていますので。

 

いつか、手を合わせに行かせてください。)

 

 

 

 

 

 

春に思うこと


本格的な春到来でしょうか。

〇〇の拠点づくりは順調に進んでいます。

と同時に、「しっかり育てていかないと」という強い思いも新たにしました。


ちなみに、「しっかりやらなければ」という思いをプレッシャー(過重な責任感)に変えないためには、「(できることから)やってみる」という発想に切り替えることがコツです。

やってみるだけ。やるだけ。


まずは、夏以降に現地に移って(猫のサラも移住予定)、地元の人たちになじんで、

地域の子供たち、そして興道の里(大人)経由で足を運んでくる十代のみんなに向けて、簡単な寺子屋(授業)から始めたいと思います。





いくつか大きな隠れテーマ(あまり表立って言わない目的・方針)があって、

その一つは、「評価しない」ということ。

学び・勉強の仕方は伝えるし、結果的に成績が上がるだけのクオリティは維持するのですが、課題・問題に取り組むとしても、それに点数をつけたり、一時的な評価をしたりはしないようにしようと思います。

勉強、イコール評価(数値化)--という物差しが、どうしても学校・受験、つまり十代の人たちの世界にはつきまといがち。

でもそうした評価を、良し悪しを測る基準にしてしまうと、

もっと大きな、もっと広く深い、学ぶこと自体の面白さというものが、見えなくなってしまうと思うのです。


評価という物差しを外しても、面白い、知りたい、考えたいと思える心が最善。そうした心であれば、

大人になっても、歳をとっても、知ること、考えること、学ぶこと、体験すること、成長することが楽しくなる。純粋に楽しめる。

硬く表現するなら、「自立した知性」をアタマの中に育てる。

自分で学び、自分で知り、自分で考えて、自分で人生を創っていく。

評価されなくても、誰かに認めてもらわなくても、他人・周囲が別の方角を見ていても、

「人は人。自分は自分で答えを出す」

そういう生き方こそが本来の「当たり前」だというところに立てる人間をめざしたいのです。




なので、寺子屋で伝えることも、大人になった(なってしまった)私にとって意味あること、面白いと思えるものにする予定。

教科書・参考書も、面白い・役に立つと思えるものがあれば使うけれど、つまらないと感じたら(大人の自分が伝える気になれなければ)遠慮なく捨てて、別のものを使う。

伝える側(いわゆる先生)が、「これは面白い、伝えたい」と思えるかどうか。そこまで心動くものを使わないと、伝える側が楽しめない。当然、受け取る側も楽しくない。当たり前。

自立した知性というのは、年齢・学年を超越している。だから大学生でも、院生でも、社会人でも面白いと思えるであろう内容かどうかを、その時間・教材の中味を決める基準とする。

そうした大きな価値・本質というものを保つことを前提に、子供たち(主に小学5年生以降を想定)に伝わる言葉・内容を工夫していく予定です。




これ、けっこうハードルが高い。自分の心が若くないと(面白さがわかるくらいのみずみずしさがないと)、面白さがわからないし、伝えようというモチベーションも維持できない。

そこで寺子屋の完成と同時に、自分なりに禊(みそぎ)のイニシエーションをしなければ、とも思っています。

つまりは生活と仕事内容の刷新。古いものを持ち越さない。


せっかくのチャンスなのだから、自分自身をリニューアル。


興道の里も、第2章、いや完全な新章に入るということです。そうしましょう^^。




この場所(みなさんとのつながり)は、そのまま生きていきます。器として大事に守っていきますが、中身が入れ替わるということです。


中身は、新たな拠点で始まること、始めること。


こういうのは、行動あるのみ。やってみよう、ということです。


写真ありがとうございます

 

 

2025年4月初旬