いろんな場所で

春は本当に良い季節です。

新入生、新入社員・・若くてキラキラしている人たちが社会に入ってきます。

未来を見て、人を信じて、だからこそ優しくいられるというのが、本来の若さなのかなと思います。

(歳を重ねると、未来ではなく終わりを見て、人を疑って、やっかんで、だからこそ寛容になれない・・という大人もいたりします^w^;。野暮な対比ですけれど)

「彼らがこの世界の未来を創っていってくれるんだなあ」と感じてほのぼのできる、そんなJI&BAでありたいと思います(笑)。

※JI=じじ BA=ばば これも余計な注釈ですがw)


個人的には、この春は、人生の局面が大きく変わった季節です。人生そのもののパラダイム・シフトというか。

これまでは独りで生きて、自分の力でなんとかする(せねば)という人生でしたが、

この先は、人さまとのご縁によってさずかっているものを、どう未来に、もっと美しい可能性のために活かすか、ということを真面目に考える人生に入っていく気がします。

「育てる」ということ。この手のひらに受け取ったものを。未来を。

これは、完全に新しい挑戦です。

生きるというのは、面白い。

それを教えてくれたのは、この場所(本)を見つけて、これまで関わってきてくださった皆さんということになります。


見えているご縁も、見えていないご縁もあるようです。

いろんなところで、誰かが見つけて、その心に新しい何かを宿してくれている。

そんなことを教えてくれるおたよりもいただきます。たとえば・・


東京新聞2025年4月29日朝刊

大きくなったら何になる?

 

「若い」というのは、年齢というよりも、どんな時間を過ごしているかで決まる気がしてきます。

若い人たちの特徴は、まったく新しい(未知)の体験に飛び込んでいること。

そのぶん緊張や不安もあるのかもしれないけれど、「やってみる」ことに踏み出せる。前に進むことが当たり前。身も心も、それができるようにできている。

体験することを恐れない。体験そのものが生きること。

それが、若さの特徴のような気がしてきました。



では、そうした若い命(※若いという言葉を連発すると、そのぶん自分が年寄りになった気がしてよろしくないのですが笑)のそばにいる大人の特徴はどうかというと、これは2つに分かれる気がしてきました。

1つは、「やってみる」姿を見て、自分も喜びや楽しさを感じられる大人。

もうひとつは、自分のほうに意識が向いていて、やってみる姿に共感できない大人。

後者は、仕事か、趣味か、過去か、性格か、人によっていろいろだろうけど、若い命のそばにいても、別のことに心を使っている。 いつも気難しい顔をしていたりして。



考えてみたら、心はとらわれることなく、自由にして、流れ続ける状態が、本来の幸福(快)であるはずだから、


そうなることを促してくれる、若い命の「やってみる」の間近にいられることは、すごく貴重にして幸福な時間のはずなのです。

自分にとらわれずに、若い命(幼い子であれ、小学生であれ、高校生であれ)に心を合わせて、自分も喜びを得るという、

それができる、親、学校の先生、保育士さんたちは、実はすごく贅沢な時間を過ごせているということ。

人間というもの、自分一人で幸せを感じるのはそもそも苦手な生き物なのだから、ほんとは、若い命に合わせれば(ときに一緒に遊んでもらえれば)一番いいのかもしれません。

それができるためには、”自分抜き”、つまりは自意識を抜く、すなわち妄想を解除することが必要になってくるのだけれど。



「大人になったら何になる?」という質問は、将来、望みが叶うとしたら何をしたい、何になりたい?ということ。

ちなみに私が今なりたいのは、保育士さんです。

資格を取れるのかどうか(取っても雇ってもらえるかどうか笑)わかりませんが、今ならできる気もします。

保育という仕事の難しさや責任は別の話として、幼い心に自分の心を合わせることは、昔の自分よりも、今のほうがはるかにできるような気がするのです。

”自分抜き”ができると、遠い昔の自分が感じていたこと、考えていたことも、わりと自由に思い出せます。机の引き出しを引くかのように、当時の自分を取り出せる。相手の心に合わせることもできる。

大人の引き出しと、子供時代の引き出しを、自由自在に引き出せたら、相手に合わせることが可能になる。「遊べる」ようになる。

子供の相手がすごく上手な保育士さんや学校の先生がいるけれども、そうした人は、引き出しを引くことが上手なのだろうと思います。心が自由。だから軽やかに引ける。

若い命のそばにいられる人は、自分抜きをして、いろんな引き出しを錆びつかせないようにして、楽しく過ごしてほしいなと思います(お節介ではなく、自分もそうありたいという純粋な願いとして)。

今いるその場所が特等席みたいなものだから。



2025年4月下旬



春は別れの季節

 

某出版社の担当編集者Tさんが早期退職するという。突然の話。

西日暮里でお別れ会(?)をすることになった。

担当者が変わったら、本はよそ者になってしまうので、進行中の企画(十代の生き方・学び方)はいったんお蔵入りに。というより、版元を変えて出すことになった。

本づくりは、今の時代には割に合わない仕事だ。一生懸命書いて、編集して、校正かけて、デザイナーさんに凝ってもらって、印刷所の人たちの労力も介して、

あの厚くて重たい紙の本が出来上がる。それでも一冊1500円行くか行かないか。

90年代は、初版1万部が標準だった(それでも売れた)のに、今は4000部くらいで出して様子を見ることがほとんど。

本の原稿はライターさんが書くことも多いが(私の本は違うけれど)、今や本の数も印税率も下がっているから、著者だけでなくライターも食っていけなくなりつつあるのだとか。

出版業界が元気だったのは、80年代から90年代か。雑誌もムック本もよく売れた。だがパソコン(特にWindows)が登場して、スマホが登場して、プラットフォームが情報空間を寡占して、SNSや動画が普及するようになって、人々は本に手を出さなくなった。決定的な理由は「本を読むよりラクだから」だろうとは思う。

90年代は、カバーや帯も色校といって、何色か見本を出して、どっちがいいかなんて編集部内で話し合って、そのやりとりが楽しかったのに、今はそういう費用もかけないのだそうだ。表紙の次に来る色紙(厚めの画用紙みたいなページ)も、今はつけなくなっているとか。

雑誌やムックなんて、仕上げの段階では連日の徹夜だった。若い女性編集者も長髪で明かりを遮って、椅子を並べて簡易ベットにして寝ていたりした(寝起きは貞子状態)。

そんな時代もあったけれど、今は本も売ることが難しくなって、雑誌・ムックも廃刊が続いている。

Tさんの出版社では、社員の3分の1が早期退職に応じたのだそうだ。会社のカラーも影響しているようだけれど、「割に合わない」ことを実感している人がそれだけ多いということかもしれない。

二十代の頃、書き手ではなく、作り手として、出版業界の内部に”居候”していた時代がある。いろんな人たちがいた。作家もライターも編集者も出入りする人たちも、語弊があるかもしれないが、クセのある人たちが多かった。

本や雑誌を作るというのは、そういうクセのある人たち、闇を抱えた人たちにとっての溜まり場的な意味もあったように感じるけれど、この業界が小さくなっていったら、当時出会ったあの人たちは、どこで生きていくのだろうとふと思う。

世の中、世渡り上手な人ばかりではないだろう。その時代の風潮とかお金儲けの仕組みとか、そういうものに乗り切れない人だって、たくさんいる。

不器用でも、闇を抱えていても、クセがあっても、それなりにみんなが生きていける、そんな世の中であってほしいし、本に人生の時間を注いできた人たちが全員生き延びていける社会であってほしいと思う。難しいけれど。

「もののけ姫のテーマソングが聞こえてくる」という話になって、一緒に笑った。

次の仕事はまだ考えていないという。ゆっくり休んで、また新しい未来に歩んでゆかれることを願って手を振った。

春は別れの季節でもあった。



2025年4月25日



まだ彼岸にて

台湾メディアの人たちと東京・九段下で例の打ち合わせ。

オンライン配信は、コンテンツをどう切り抜かれるかわからない怖さがある。正直、手の届く範囲で価値を創り出せれば、個人的には満足なので、彼らが期待するほど、メディア露出(特に海外に)しようという思いになっていない。

だが、たしかに時代は、本ではなく、動画・映像に向かいつつある印象。本は、目を使い、頭を使って、活字(視覚)情報を、脳内の思考情報(知識やノウハウ)に移し替える必要がある。

それは、本来の脳の使い方(そこまでやらないと、知識は定着しないし、行動にも移せない)ではある。だがたしかに、ある程度の労力(意識というエネルギー、いわば心のカロリーの消費)が必要だ。

動画がなぜ人気かというと、思考情報に変換する手間が省けるのだ。音声で聞ける。活字ではなくビジュアルで把握できる。「見ているだけで、ある程度情報が手に入る(気がする)」のだ。

もっとも本来は、そうしてインプットした情報を、言葉または身体の動きに変換できないと、得た・学んだことにはならない。そのままでは見っぱなし、聞きっぱなし、で何も残らないことになりがちだ。

「いざ語るとしたら、行動するとしたら、その情報をどう活かす?」というところまで考えて、実際にやってみる(アウトプットする)必要がある。動画情報も同じこと。

その点では、動画であっても労力は必要なのだ。でもそこまでの労力が求められる(試される)機会はないから、たいていは見っぱなし、聞きっぱなしですんでしまう。結果的に、ずっとラクしていられる。だから「本よりも動画」になってしまうのだ。



情報を言葉や行動レベルに落とし込めるだけの「読み込み力」(学習力)を持っている人は、多くないかもしれない。だから、本であれ、動画であれ、”人それぞれの現実を変え、現実を創りゆく力”(効果)は、さほど変わらないのかもしれない。

力(効果)が同じなら、アクセス数(届く人々の数)を増やせば、全体の効果は上がることにはなる。ならば、動画も本以上の価値はあるのかもしれない。

ただそこまで論が及んだ時に、動画・ネットメディアの無秩序さ・低俗さ、それゆえの怖さ、そこに露出することのリスクを考える必要が出てきてしまうのだけれど。

そういう世界に身の半分を置いてよいのかどうか。置く価値があるのかどうか。

置けば、確実にプラスの価値も創造できる。それは確かだろうとは思うのだけれど。



台湾では、『反応しない練習』がロングセラーで、『これも修行のうち。』が続く。今は『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』『怒る技法』が翻訳進行中。

『怒る技法』は、韓国版、アメリカ版が進行中。

『反応しない練習』は、韓国、台湾、中国、シンガポール、インドネシア、オランダ、ドイツ、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー、スペイン、イギリス・・・(正直把握しきれていません笑)。


”合理的な心の使い方”というアプローチ(それが妄想を抜けたブッダ本来の伝えたかったことだろうと理解しているが)は、斬新ではあるだろうし、

宗教という踏み絵を敬遠する人々が求めることは、わかる気がする(それでも正直、どこをどのように受け入れてくださっているのか、著者としてはいまだによくわかっていないところがあるのだけれど^^;)。

理想は、自分自身は出て行かなくても、本が頑張って未来に遺ってくれること。リアルタイムの人生は、小さな創造の満足だけで終わらせることができれば、それが一番無難で安全。誰にも見つからず、人さまの不満や干渉を受けずに、静かに生きて終わること。

まだまだ自分の中でやらねばならないこと、できることはあるから。


まだ”彼岸”を選んでいる自分がいる。



『怒る技法』韓国語版
真ん中の4文字はメンタル・アーツ(心の技術)なのだそうです



2025年4月25日


自分を救えるのは自分だけ

生きるという当たり前のことが難しくなっている――

その理由は、過去にあります。たとえば①自分が罪深い存在だ、生きる価値がないと思い込んだか、②誰かとの関係性で刷り込まれたか、です。

①は、自分自身の思い込み。②は、たいていは親との関係性です。

たとえば、親が子供を徹底して否定してきたか、病的に干渉・支配・搾取してきたか。

普通に生きることをことごとく邪魔してきた「毒親」だった可能性があります。


こうした親に、生命としてのエネルギーを挫かれ、「生き血を吸われて」、独り立ちする機会を失ったまま、歳を取る――こうした人は少なくありません。

若い頃から自立を妨げられて、人生がうまくいかなくなった。50代に入った頃には、心身ともにボロボロ。苗木だった自分に養分が回らず、もやしのような心と体と化している(もやしのほうがまだ元気かもしれません)。そんな状態に至る人もいます。


外に出る体力・気力も湧いてこない。実家にこもっているしかない。

だがその実家には毒親がいて、昼夜生き血を吸い続けてくる。

本人としては、生きているのか死んでいるのかもわからない。生きている実感がまったくないから、死んだほうがマシかもと思う。

そういう半生半死状態でも、考えること(妄想すること)は可能です。妄想は低出力で、ほとんどエネルギーが要らないから。


その時に湧いてくる妄想は、現状維持を好む傾向があります。あれこれと理屈をつけて、「留まる」ことを選んでしまうのです。それが最もラクだからです。


本当は、脱出して毒親との縁を断つことが先決であり、それが唯一の解決策です。脱出して自由になれば、生きるエネルギーくらいは自然に湧いてくるものです。

ところが、そうした選択肢を、怖い、億劫、気力が出ない、お金がない、親がかわいそう、そんな自分は子供としてどうなのか・・等々と理屈をつけて、みずから潰してしまうのです。現状維持の重力に囚われているから。

こうなると、自分が干からびて死ぬまで、生き血を吸われ続けます。

でもそれが自分が望むことだから致し方ない――という希望のない状況にたどり着くのです。


思考を拒み、行動を拒む。親に人生を挫かれてきた人は、それでも親を敵に回したくない、対決したくない、怖い、愛されたいという夢を失ってしまう、外に飛び出すより家の中で生き血を吸われているほうがラク・・・いろんな思惑をめぐらせているものです。

出口の見えない現状維持の迷宮の中で、唯一できることが、妄想(楽だから)。

その曖昧な妄想の中で、現状に留まるための理屈が浮かんで来たら、それに飛びついて、言葉にして、自分にとっての答えにしてしまうのです。「やっぱり今のままがいい」「この状態しかない」「きっとこれが私にふさわしい状況なのだ」と思い込む。

こうして、現実は何一つ変わらず、ただ現状に留まり続けるのです。




そもそも生きるという、どんな生命でも当たり前のようにやっていることができない。

その原因は、生きることを妨害し、生きるエネルギーを吸い取ってきた環境にある。

ならば、その環境を抜け出さなければ、生きるエネルギーを取り戻せることはない。

環境に留まったままあれこれと考える妄想は、すべて意味がない。


原因は明らかで、方法も明らか。

脱出して自由になりなさい――。



それが正解ということになります。あまりにわかりやすい、過去に何度も聞いていることです。

あとは本人の決意と行動次第です。



自分を救えるのは、自分だけだということです。

他人の妄想に甘えるな、ということでもあります。




2025年4月下旬



「そんな人生もあったらいいな」の5年後

 

そもそも興道の里の「興」の字は、実は 同 ではなくて、幸 を両手で支え持つという象形文字です(勝手に造った漢字(笑))。

日本に帰ってきた2011年夏に、この国の幸せを増やせるような活動をしようと考えて、最終的に選んだのが、この呼び名でした。

「お寺のような、学校のような、里のような場所を作りたい」というのは、活動当初からお伝えしていたこと。

でも、その頃は、講座にもほとんど誰も来なかったし、本も出していなかったし、出しても(最初の本が2012年)まったく届かなかったし、

生きていけるかどうかもわからない。「いつかインドに帰れたら」という思いで、教室に竹筒を置いていたような状況でした(2013年12月にインド帰郷が実現)。

「里」と呼べる場所も、できたらいいねというくらいの話で、ほとんど現実味はなく、「せめてめざすとしたら」という、まさに方向性(妄想)として使っていたくらいの話だったのです。


幸いに、これまた奇跡というしかないくらいの幸運だったのだと思いますが、2015年夏にあの作品が世に出て、多くの人があたたかく迎え入れてくださって、

最初の方向性に、少しずついろんなご縁がつながっていって、

あのコロナ騒動に突入して、この世界の行く末と、個人的な身の置き所をいっそう真剣に考えるようになって、

いろんな偶然が重なって、今の場所にたどり着くことになりました。


この先どんな物語が始まるのか、紡くことができるのかは、これは想像がつかない(未来もまた因縁次第なので)ものですが、

それでも、方向性(意志)と因縁と、自分自身にできること――の組み合わせによって、不思議といえば不思議なことが、形になろうとしています。

本当に不思議--。


今思うのは、「めざしてよかったな」ということです。

そしてあきらめることなく(あきらめるというのは、負の妄想を選ぶということでもあるから)、

でも過剰に夢見ることもなく、

謙虚に、素直に、地道に、自分にできることを日々やり続けて、歩き続けただけですが、

その先に、最初に夢見たことが、ほんとに形になった――そんな未来にたどり着こうとしています。


下記に紹介するのは、2020年10月にお伝えしていたこと。場所を見つけるどころか、そんなことができる未来が来るとも想像しなかった頃に書いていたことです。不思議--


◇◇◇◇◇◇◇◇◇

たとえば、どこかの古民家とか、旧診療所とか、集会所など、広めの家屋を、「使ってください」と提供してくれる人が、ひょんなきっかけに現われたら、

そこで、大人と子供たちを呼んで、〇〇〇〇〇を始める――というのは、現時点でも可能。


ちゃんと生き方を伝えますよ。人は幸せになるために生きている、その方法はちゃんとある。

学校や、世の中のおかしさも、ちゃんと伝えます。

こういう生き方のインプットは、小学生までが、ひとつの勝負どころ。


大部屋使って、「学校」みたいなことを始めます。

国語と英語と社会は、かなりレベルの高い、洗練された、本物の学びを提供できます。

数学だって、使う教材を選び抜いて、センスが身に着く、本物の学びをしてもらいます。

学者や作家や、その他あらゆる世界のプロが書いた言葉や映像に触れられる オリジナル教材を作って、

中味の面白い入試問題を選んで、それを使って、論理的な読み方・書き方・考え方を、体験してもらう。

大人がやっても面白い、知的能力が確実に育つ、本当の学びを提供する。


そこでは、和尚であり、父ちゃんであり、先生です。そこで、生き方をちゃんと吸収してもらう。

道場みたいな、学校みたいな、私塾みたいな場所――それなら、今でも可能です。


で、週末とか、夏・冬の休みには、全国から親子で来てもらって、

大人の悩みにも、子供たちの学びにも、朝から晩まで、つきそって、背中を押して、送り出してあげるという――。

ちっちゃな田舎の駅まで車で送って、バイバイ!みたいな。


そんな妄想をしてみました(>▽<*)。


きれいな夕焼け空が見える場所がよいです。

そんな人生も、あったらいいな。



その5年後に本当に見上げている空

空の色だけお見せします(笑)



国の基本~万博と人口減が象徴するもの


大阪に宿を探そうとしたが、どこも高い! 例のイベントが始まってしまったためか。

日本の政治は不可解だ。カネの使い方がメチャクチャだ。

政策と予算は、第一に人々の雇用を安定させ、いざという時のセーフティネットを充実させることが基本だ。右も左も、保守も革新もない。基本である。

「結婚しようか」「子供を育ててみようか」と思えるくらいに、収入・生活が安定すること。これを第一の国家目標に据えて、政策を更新し、予算を重点配分すること。

これがある程度達成できて初めて、その他に予算を使うことが可能になる。そうした状況なら「万博でもやってみようか」という声が上がってもよい。

主と従、優先順位、基本とオマケを間違えないこと。

これは政策という思考の手順みたいなもので、例外はない。あってはいけない。

ところが、今の政治は原則も例外も滅茶苦茶になったままだ。万博開催と、昨年89万人、14年連続で人口減という話題が、ほぼ同時に上がってくるという不条理まで起きている。

実に象徴的だ。この2つの話題はつながっている。前者(万博)に代表される迷走の結果が後者(人口激減)だ。

最も憂慮すべきは、この迷走を止めるための方針が、わからなくなっていること。政治家だけではなく、多くの市民が、国の基本とはどういうものかを思い出せなくなっている。

政治・政策の基本さえわからなくなった国。政治家だけではなく、見抜けない国民にも、同じくらい責任があるのだ。
 
 
この国の人々は、賛成・反対、肯定・否定という個人的見解のぶつかり合い、支持か批判かという感情論に走りがちだ。万博についても、是か非かを言い争う声が聞こえてくる。
 
だが、こうした論争に価値はない。すぐに意見や感情の対立に流れてしまうから、事が終わればきれいに忘れて、次の話題・次の議論へと移ろうだけになってしまうのだ。騒いで、喧嘩して、忘れての繰り返し。

かつての「非国民」や「反〇〇」といったレッテル貼りによる思考停止と自己正当化は、心地よいかもしれないが、問題の本質を曇らせる。結果としての迷走、同調、閉塞と自己破壊だ。この国は同じことを繰り返している。
 

明日は野宿でもしようか。基本を踏み外した狂騒につきあって高い宿に泊まるよりは、せめてこの身くらいはまともな姿を保って、つつましく野ざらしでいるほうがいい。



4月15日

人生はシンプルでいい

 
名古屋・栄での今年最初のレギュラー講座。テーマはずばり、”ダンマ”――仏教と呼ぶより、はるかにブッダの教えに近づける言葉だ(慣れるまで聞こえは怪しいけれど笑)。

特に今日は、宗教と長く関わってきた人が来ていたから、宗教とダンマの違いをお話してみた。伝わったかな・・。


執着が強い人は、宗教のほうに親しみを感じるものだ。というのも、現実逃避を求めているにせよ、ご利益を期待しているにせよ、その執着に応えてくれる妄想に惹かれるものだから。
 
最初に執着があり、叶えてくれそうな妄想を探す。その妄想を形にしてくれると予感した宗教に惹かれる。そして「信じる」段階に入っていく。

信じることが最初に来るのではなく、本人が自覚していない執着が前提としてあるのである。

その執着は、現実から逃れたいという思いかもしれないし、承認欲を満たしたいという我欲(上昇欲)かもしれないし、心の空洞を埋めたいという願いかもしれない。

そうした執着状態にある心が、「それらしい妄想」(理屈)に触れると、「きっとこれが答えに違いない」と興奮して、飛びついてしまう。

だが、そうしたものに飛びついても、問題は解決しない。
宗教という名の妄想をエサにして、執着が生き永らえるだけだ。

足元にある原因を、つまりは執着を自覚していないからだ。
 

本当は足元を掘り起こして、いったい自分は何に執着しているのかを自覚することが近道、というか唯一の解決策だ。

自覚できれば、捨てることも可能になる。あとはその方法を知って、実践すればいいだけになる。


ブッダが伝えた、一切の苦しみには原因があって、だがその原因は誰でも取り除けるし、その方法がある、だから後は実践するだけであるという言葉は、そうした真実を語っている。

まったく難しくない。そのシンプルな真実をひっくるめて”ダンマ”と呼んでいる。


本来のブッダの教えは、宗教とはまったく違う。真逆だ。宗教という名の妄想を克服するための方法を体系化したものだ。

心をめぐる問題に、答えがない問いは、実は存在しない。答えがない、考えてもわからないように見えるのは、自分の心が妄想によって曇らされているからだ。

心の苦しみについては、ほぼ百パーセントと言っていい確率で、抜け出せる。そもそもその苦しみは、心の中になかったものだ。今もまた、形も重さもない。実体のない(いわゆる無常)なものだからだ。

唯一必要なものは、ダンマ、つまり心の苦しみを抜ける方法だ。
 
その方法を受け入れるか。行動に移すか。それだけだ。もはや理屈ではない。考えることではない。やるか、やらないか。進むか、退がるか。受け容れるか、拒絶するか。


苦しみを抱えてさまよい続けてきた人が、ダンマに目覚めて苦しみを抜け、「この生き方で間違いない」という確信を持てるようになること。

それが、この場所の目的だ。時間はかかることが当然。そんな生き方しか知らなかったのだから。

焦らずに学んでもらえたら(自己理解を深めてもらえたら)と思う。
 
 
言葉は難しく聞こえるかもしれないが、伝える中身は、すべて友情に似た思いから発している。この命は、出会うことを喜びとする性質を持っている。よく来たね、と毎回心の中でエールを送っています。
 


2025年4月15日




新しい職場・新しい仕事2


春の到来にちなんで、働き方編2をお届けします:

仕事とは面白いもので、その中身も評価も、自分では決められません。あくまで自分の働きが役に立っているか、評価されるかは、周りの人、その仕事を受ける人が決めるものです。

これは「ままならないストレス」かというと、そうでもなくて、「自分で決める必要はなくて、お任せでいい」と気楽に受け止めることも可能です。

たとえば、体を使う仕事で、足が不自由で走ったり、重たいものを持ったりすることができなくなってきた・・という場合。

そうした自分をヨシとするかは、本人の仕事観にもよるので、「本人がそんな自分に納得いかない」と思うなら、仕事を変える(辞退する・転職する)ことも、正解たりえます。正解かどうかは、その後の展開次第(自分の頑張り次第・周囲の受け止め方次第・相性次第・・)によるので。

でもその一方で、自分で答えを出す必要もなくて、「こんな状態ですが、仕事として成り立つでしょうか?」というのは、周囲の人に聞いてみてもよいのです。多くの仕事はチームでやるものだから。

ある作業が、自分の健康状態が原因で十分できない・・その状態を見てもらって、他の人がカバーしてくれて、他の人もそれでもいいと思ってくれるなら、

今の自分ができることは、なお仕事として十分に通用します。

周りのサポートを受ける分、別のことで貢献しようと考えることも可能です。

「迷惑をかけるから申しわけない」と思う。でも「辞めたくない」とも思う。そういう時は、そうした思いを丸ごとその職場・チームに伝えてみればよいのです。


一番つらくなるのは、自分一人で抱え込んで、自分一人で答えを出そうとしてしまうことです。こうなると、「辞めたくない」は自分のエゴで、「きっと務まらない」という思いが勝っていきます。

特に、自分一人で答えを出すこと、一人で抱え込むことに慣れてきた人(いわば業ということになりますが)は、そうした状況に陥りがちです。

別の角度で見てみれば、仕事というのはある程度は利己的でも良くて、やりたいと思うなら、辞めろと言われるまではやり続けることが正解だったりします。

(特に障害を抱えながら働いている人には、これはけっこう大事なポイントになります。生きる権利、働く権利を通すということ。社会は大きな布団みたいなところもあって、自分一人分載っても、大丈夫なくらいに大きな場所でもあります)。




もうひとつ、新しい仕事に向かう心構えは、「とにかく今できる、役に立てることを引き受ける」ことです。

たとえば、すぐに始められる仕事・職場があるけれど、別の仕事が本当は第一希望で、でもその仕事には現時点で空きがない・・という場合。

この場合、空きが出るまで待つことは(状況にもよるでしょうが)正しい選択ではないような気がします。

というのも、求められていて、できるかもしれないなら、それを引き受けて体験してみて、学びつつ、できる範囲を広げて、できるレベルを上げていくというのが、

自分にとっても、その職場・仕事にとっても、確実なプラスだからです。

そしてそういう自分を作って(準備して)おけば、そのうち、もっとやりたい・向いている職場・仕事からお声がかかるかもしれなくて、その時に新しい仕事を選ぶなら、元いた場所からは惜しまれつつ(あるいは感謝されつつ)離れて、自分がやりたかった仕事に就くことも可能になります。

「自分にはできないかも」「難易度が高いかも」というのは、妄想であることが多くて、「やっていた・やっている人もいるんだから、わたしにもできるかもしれない」と思うほうが正しかったりします。

「できるかも」から入って、やってみて、体験を通じてやり方を学んで、実際にできるレベルに持っていく――というのが、誰もが踏んでいるステップです。

最初からできる人なんていなくて、単に「できるかも」という入り口に立って、その後のステップを進んでいったから、結果的にできているのです。



新しい仕事の入り口としては、「やってみたい」「できるかも」というポジティブな入り方と、「やりたくない」「きっとできない」というネガティブな入り方とがありますが、

「やりたくない」は仕方ない(それが本人の気持ちなら終わるしかない)としても、

「きっとできない」というのは、やってもいないうちに判断できるはずもなく、確実に妄想ということになります。

「きっとできない」と「できるかも」は、両方、体験する前の妄想でしかなくて、客観的な状況としては、実は同じです。

なぜ前者に心の針が振れる人と、後者に傾く人がいるのかといえば、やはり過去や業(性格)だったりします。



理想は、やっていないことは、とりあえず「できるかも」という箱に入れてしまうことです。

お声がかかっているなら、断らないことです。仕事は、関わり次第、相手次第であって、自分一人では決められない。自分で全部答えを出すという発想で出した答えが、正しかった確率は、実は自分が思うほど高くなかったりします。

「お声をかけていただいてありがとうございます。私に務まるかどうかわかりませんが、しっかり頑張ります」でよいのです。

頑張るというのは、「体験することを頑張る」という意味です。これは自分の中で補っておけばよく、相手に伝える必要はありません。

体験して、できることを増やして、結果的に貢献できる自分になる、というステップさえ見えていればいいのです。

とりわけ、仕事は人間関係(理解ある人が周りにいるかどうか)で大きく左右されるので、自分のことを買ってくれている、わかってくれている人がその場所にいるなら、条件はそろっています。

「やりたい職場には空きがない」なら、なおさらです。客観的に「できるかも(でも実際はこれから)」という状況は、やりたくても今はできない職場も、今まさに求められている職場も変わらない。

ならば、求められている職場に応えて働きを果たす、ことしか答えはないのでは?

ひょいひょいと乗ってみればよいのです(難しいかもしれませんが)。

できるかな、やってみようか、やってみます!でよかったりするのです。


新しい職場・新しい仕事


今週から始業式・入社式に入ったところも多いようです。新調のスーツを身にまとった若い人たちや、夜の歓迎会に繰り出す人たちに遭遇する機会が増えました。

今回は、仕事をめぐるおたより&相談への返答です(抜粋):



この人の場合は、まずは就職することが必要です。クラウドソーシングで受注しようとしても、いろんなレベルの人たちが売り込んでくる場所なので、仕事が来ないばかりか、信頼を培うにも相当苦労する(ほぼ無理な人もいる)はずです。

ある程度のスキルがあって、起業して、独自のホームページ&ブログ作って宣伝して、お声をかけていただいた人たちに倍返しの貢献をして、実績を積み重ねて・・ということを続けて、

ようやく「やっていけるかも」という目途がつく人はつく(つかない人もいる)世界です。


みずから起業する代わりに、人様の看板を借りて体験を積めるのが就職です。

仕事の内容に求めすぎず、不満を抱えず(だって今の自分にできるありがたい仕事なのだから)、まずは3年、5年とやり続けることです。

それくらい続けた仕事があったなら、自分にとっては不本意だったとしても、社会にとっては価値を持ち始めます。


本当の経歴・実績というのは、文句を言わずにやり続けた時間そのものです。

「これだけやり続けました」という事実こそが、次の仕事への売りであり、強みになるのです。

将来につなげる秘訣は、意外に思われるかもしれないけれど、人様よりも「低い」ところから始めることです。

徹底して低いところに立って、体験すること自体を歓迎すること。

苦労や悔しさも、体験できているなら、正しい(価値を持つ)のです。


やってみてほしいと思います。きっとできるはず^^。



2025年4月上旬



4月7日

 

4月7日は、あの日です。

 

この命も、遠いところからになってしまいますが、あの人のことを想っています。

 

ずっと手を合わせています。

 

 

 (このことにこの場所で触れるのは、今回で最後にします。

 

でも、ずっと想っていますので。

 

いつか、手を合わせに行かせてください。)

 

 

 

 

 

 

春に思うこと


本格的な春到来でしょうか。

〇〇の拠点づくりは順調に進んでいます。

と同時に、「しっかり育てていかないと」という強い思いも新たにしました。


ちなみに、「しっかりやらなければ」という思いをプレッシャー(過重な責任感)に変えないためには、「(できることから)やってみる」という発想に切り替えることがコツです。

やってみるだけ。やるだけ。


まずは、夏以降に現地に移って(猫のサラも移住予定)、地元の人たちになじんで、

地域の子供たち、そして興道の里(大人)経由で足を運んでくる十代のみんなに向けて、簡単な寺子屋(授業)から始めたいと思います。





いくつか大きな隠れテーマ(あまり表立って言わない目的・方針)があって、

その一つは、「評価しない」ということ。

学び・勉強の仕方は伝えるし、結果的に成績が上がるだけのクオリティは維持するのですが、課題・問題に取り組むとしても、それに点数をつけたり、一時的な評価をしたりはしないようにしようと思います。

勉強、イコール評価(数値化)--という物差しが、どうしても学校・受験、つまり十代の人たちの世界にはつきまといがち。

でもそうした評価を、良し悪しを測る基準にしてしまうと、

もっと大きな、もっと広く深い、学ぶこと自体の面白さというものが、見えなくなってしまうと思うのです。


評価という物差しを外しても、面白い、知りたい、考えたいと思える心が最善。そうした心であれば、

大人になっても、歳をとっても、知ること、考えること、学ぶこと、体験すること、成長することが楽しくなる。純粋に楽しめる。

硬く表現するなら、「自立した知性」をアタマの中に育てる。

自分で学び、自分で知り、自分で考えて、自分で人生を創っていく。

評価されなくても、誰かに認めてもらわなくても、他人・周囲が別の方角を見ていても、

「人は人。自分は自分で答えを出す」

そういう生き方こそが本来の「当たり前」だというところに立てる人間をめざしたいのです。




なので、寺子屋で伝えることも、大人になった(なってしまった)私にとって意味あること、面白いと思えるものにする予定。

教科書・参考書も、面白い・役に立つと思えるものがあれば使うけれど、つまらないと感じたら(大人の自分が伝える気になれなければ)遠慮なく捨てて、別のものを使う。

伝える側(いわゆる先生)が、「これは面白い、伝えたい」と思えるかどうか。そこまで心動くものを使わないと、伝える側が楽しめない。当然、受け取る側も楽しくない。当たり前。

自立した知性というのは、年齢・学年を超越している。だから大学生でも、院生でも、社会人でも面白いと思えるであろう内容かどうかを、その時間・教材の中味を決める基準とする。

そうした大きな価値・本質というものを保つことを前提に、子供たち(主に小学5年生以降を想定)に伝わる言葉・内容を工夫していく予定です。




これ、けっこうハードルが高い。自分の心が若くないと(面白さがわかるくらいのみずみずしさがないと)、面白さがわからないし、伝えようというモチベーションも維持できない。

そこで寺子屋の完成と同時に、自分なりに禊(みそぎ)のイニシエーションをしなければ、とも思っています。

つまりは生活と仕事内容の刷新。古いものを持ち越さない。


せっかくのチャンスなのだから、自分自身をリニューアル。


興道の里も、第2章、いや完全な新章に入るということです。そうしましょう^^。




この場所(みなさんとのつながり)は、そのまま生きていきます。器として大事に守っていきますが、中身が入れ替わるということです。


中身は、新たな拠点で始まること、始めること。


こういうのは、行動あるのみ。やってみよう、ということです。


写真ありがとうございます

 

 

2025年4月初旬