国の基本~万博と人口減が象徴するもの


大阪に宿を探そうとしたが、どこも高い! 例のイベントが始まってしまったためか。

日本の政治は不可解だ。カネの使い方がメチャクチャだ。

政策と予算は、第一に人々の雇用を安定させ、いざという時のセーフティネットを充実させることが基本だ。右も左も、保守も革新もない。基本である。

「結婚しようか」「子供を育ててみようか」と思えるくらいに、収入・生活が安定すること。これを第一の国家目標に据えて、政策を更新し、予算を重点配分すること。

これがある程度達成できて初めて、その他に予算を使うことが可能になる。そうした状況なら「万博でもやってみようか」という声が上がってもよい。

主と従、優先順位、基本とオマケを間違えないこと。

これは政策という思考の手順みたいなもので、例外はない。あってはいけない。

ところが、今の政治は原則も例外も滅茶苦茶になったままだ。万博開催と、昨年89万人、14年連続で人口減という話題が、ほぼ同時に上がってくるという不条理まで起きている。

実に象徴的だ。この2つの話題はつながっている。前者(万博)に代表される迷走の結果が後者(人口激減)だ。

最も憂慮すべきは、この迷走を止めるための方針が、わからなくなっていること。政治家だけではなく、多くの市民が、国の基本とはどういうものかを思い出せなくなっている。

政治・政策の基本さえわからなくなった国。政治家だけではなく、見抜けない国民にも、同じくらい責任があるのだ。
 
 
この国の人々は、賛成・反対、肯定・否定という個人的見解のぶつかり合い、支持か批判かという感情論に走りがちだ。万博についても、是か非かを言い争う声が聞こえてくる。
 
だが、こうした論争に価値はない。すぐに意見や感情の対立に流れてしまうから、事が終わればきれいに忘れて、次の話題・次の議論へと移ろうだけになってしまうのだ。騒いで、喧嘩して、忘れての繰り返し。

かつての「非国民」や「反〇〇」といったレッテル貼りによる思考停止と自己正当化は、心地よいかもしれないが、問題の本質を曇らせる。結果としての迷走、同調、閉塞と自己破壊だ。この国は同じことを繰り返している。
 

明日は野宿でもしようか。基本を踏み外した狂騒につきあって高い宿に泊まるよりは、せめてこの身くらいはまともな姿を保って、つつましく野ざらしでいるほうがいい。



4月15日