自分を救えるのは自分だけ

生きるという当たり前のことが難しくなっている――

その理由は、過去にあります。たとえば①自分が罪深い存在だ、生きる価値がないと思い込んだか、②誰かとの関係性で刷り込まれたか、です。

①は、自分自身の思い込み。②は、たいていは親との関係性です。

たとえば、親が子供を徹底して否定してきたか、病的に干渉・支配・搾取してきたか。

普通に生きることをことごとく邪魔してきた「毒親」だった可能性があります。


こうした親に、生命としてのエネルギーを挫かれ、「生き血を吸われて」、独り立ちする機会を失ったまま、歳を取る――こうした人は少なくありません。

若い頃から自立を妨げられて、人生がうまくいかなくなった。50代に入った頃には、心身ともにボロボロ。苗木だった自分に養分が回らず、もやしのような心と体と化している(もやしのほうがまだ元気かもしれません)。そんな状態に至る人もいます。


外に出る体力・気力も湧いてこない。実家にこもっているしかない。

だがその実家には毒親がいて、昼夜生き血を吸い続けてくる。

本人としては、生きているのか死んでいるのかもわからない。生きている実感がまったくないから、死んだほうがマシかもと思う。

そういう半生半死状態でも、考えること(妄想すること)は可能です。妄想は低出力で、ほとんどエネルギーが要らないから。


その時に湧いてくる妄想は、現状維持を好む傾向があります。あれこれと理屈をつけて、「留まる」ことを選んでしまうのです。それが最もラクだからです。


本当は、脱出して毒親との縁を断つことが先決であり、それが唯一の解決策です。脱出して自由になれば、生きるエネルギーくらいは自然に湧いてくるものです。

ところが、そうした選択肢を、怖い、億劫、気力が出ない、お金がない、親がかわいそう、そんな自分は子供としてどうなのか・・等々と理屈をつけて、みずから潰してしまうのです。現状維持の重力に囚われているから。

こうなると、自分が干からびて死ぬまで、生き血を吸われ続けます。

でもそれが自分が望むことだから致し方ない――という希望のない状況にたどり着くのです。


思考を拒み、行動を拒む。親に人生を挫かれてきた人は、それでも親を敵に回したくない、対決したくない、怖い、愛されたいという夢を失ってしまう、外に飛び出すより家の中で生き血を吸われているほうがラク・・・いろんな思惑をめぐらせているものです。

出口の見えない現状維持の迷宮の中で、唯一できることが、妄想(楽だから)。

その曖昧な妄想の中で、現状に留まるための理屈が浮かんで来たら、それに飛びついて、言葉にして、自分にとっての答えにしてしまうのです。「やっぱり今のままがいい」「この状態しかない」「きっとこれが私にふさわしい状況なのだ」と思い込む。

こうして、現実は何一つ変わらず、ただ現状に留まり続けるのです。




そもそも生きるという、どんな生命でも当たり前のようにやっていることができない。

その原因は、生きることを妨害し、生きるエネルギーを吸い取ってきた環境にある。

ならば、その環境を抜け出さなければ、生きるエネルギーを取り戻せることはない。

環境に留まったままあれこれと考える妄想は、すべて意味がない。


原因は明らかで、方法も明らか。

脱出して自由になりなさい――。



それが正解ということになります。あまりにわかりやすい、過去に何度も聞いていることです。

あとは本人の決意と行動次第です。



自分を救えるのは、自分だけだということです。

他人の妄想に甘えるな、ということでもあります。




2025年4月下旬