(ちょっとネガティブかもしれない話題:)
人に伝えるというのは、
特に、社会的な役割(職業)あるいは対価を得るプロフェッショナルとして伝えるというのは、
当たり前だけど、それだけの価値を自分が持っている必要があります。
知識、技術、ノウハウ(方法)、さらに決定的なものは、体験です。
体験がオリジナルであればあるほど、他人(人様)が聞く価値が出てきます。
たまに大丈夫かな?と思うのは、自分は伝える資格があるという装いをし、実際にプロとして活動していながら、
この場所にその分野について ‶教わりに‶ 来ようとする人がいることです^◇^;?
特に仏教、瞑想その他、心・生き方について、人に伝えるプロとして活動していながら、教わりに来るというのは、どういう状況なのでしょう?
すでに資格・立場を得たと自認しているわけでしょう?
だったら自分の力でやっていかないとね。
厳しい言い方になってしまうけれど、
伝える資格がないと感じているなら、資格があるフリをしてはいけないし、
伝える資格があるという看板を掲げているなら、その姿に責任を持たないと。
でないと、自分が偽者(はりぼて)、嘘をついている可能性が出てきてしまう。
それはね、絶対にしてはいけないことなのですよ。
過剰な見栄や野心など、承認欲が暴走した時に、人はつい自分以上の自分であろうとしてしまう。
「これくらい盛っても、見せかけても、通用するだろう」と妄想してしまう。いうなれば、虚飾。
虚飾は、等身大の自分を見えなくする。社会に欠かせない本当の価値を枯らせてしまう。
世の中、「なんちゃって〇〇」という立場・肩書、名乗った者勝ちという風潮も少なくないようだけれど。
この場所は、真っ当であること、誠実であろう、本物であろうという意志を大事にするところなので、
自分のあり方について悩んでいるような、真っ当な心がある人については、人として相談に乗りたいと思っています。
本当の人生は、飾り・ごまかしを捨てた時に始まるものです。
本当の自分を見極めたいという思いでいる人に向けては、応援したいという思いでいます。
2025・10