この場所とご縁いただいてまだ日が浅い人もいると思うので、あらためてお伝えしておくと、
・この場所は宗教を語る場所ではない。
・「仏教」と便宜的に呼んでいるが、本当は仏教でもない。
・人それぞれのテーマを解決する頭の使い方(若干おおげさに言えば知力)を育てる場所である。
そういう場所です。
付け足すなら、貪欲(過剰を求めること)が嫌い、自己愛も嫌い(自己愛とは承認欲が作り出す自己の正当化・美化)、
つまりは、虚飾も虚栄も我欲も自己演出も自己顕示も、すべてが嫌い(なんとひねくれた場所・・^◇^;)。
嫌いというのは「判断」になっちゃいますが、あえてそういう言い方をしておきます(笑)。俗世用の表現。
出家(仏教)の世界では「関わらず」ということです。
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宗教とは、他人に見えないもの(理屈でもイメージでも)を信じることをいいます。つまりは、妄想を信じる(在るとみなす)ということ。
本人には「在る(見える)」のかもしれません。だからありがたいと思うし、信じることに快を感じます。
自分にとっての快・やすらぎ・満足を得るというだけなら、自分の輪郭内のことなので、第三者は関係ありません。「そのままでいい(その人にとっては正しいこと)」のです。
でも、「在ると信じる(見える)」ということは、それ(信仰)以外のものは見えなくなるということです。
周りの信じない(無いように見える)人たちとの間に、その時点で距離が生じます。
その距離は、無関心・無理解・勘違いを作り出します。
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さらに利欲(信じること・信じさせることに利益がある)が絡むと、自分が信じるものを他人にも信じさせようという圧力や攻撃につながっていきます。
一見、人を救うためとか、誰かの役に立ちたいとか、それっぽい美徳・大義名分を作り出します。
しかしその動機の根底に、自分の信仰や正しさをわからせたい、もっと利益を上げたい、富、名声、権力を手に入れたいという(お決まりの)欲望が潜んでいると、
自分たちの信仰をもっと広めるため、信じさせるため、自分たちが求める利益を手にするために、さまざまな「戦略」を作り出していきます。
常識的にはありえないような利益(信じたことでこんな奇跡が!的な)や、
自分たちの信仰共同体の美しさや特別感をアピールするとか、
人の妄想(不安・心配・現実逃避願望)につけこんで、脅したり、いっそう不安がらせたりとか、
相手の妄想をぜんぶひっくるめて、自分たちの信仰にすげ替えることをもくろんだりとか(いわゆる洗脳)、
とにかくありとあらゆる無理--つまりは妄想の拡張、もっといえば侵略につながっていきます。
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客観的に存在しないもの、つまりは信じない人には見えないものというのは、
存在するとは言えない(言わない方がいい)し、
存在するものと思い込んでしまえば(信じてしまえば)、その分必ず、見てもらえない、つまり認めてくれない、愛されない、放置されたり無視されたりする人が出てきます。
その最たる犠牲者が、子供や家族です。
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信仰を持つというのは危うい面もあります。客観的に見れば、妄想に思考を委ねてしまって、考えない状態になるというかもしれない。現実逃避であり、思考停止。
「考えない」ことはラク。ただ言われるがままに、言われたことをやるだけでいい。
「自分は一生懸命にやっている」という自己満足が得られる。現実が見えなくなり、自分が信じているものしか見えないから、ますますこの信仰が絶対に正しい、自分は正しいことをやっていると思えてくる。
しかし客観的に見れば、周囲との距離はいっそう広がり、ちゃんと見てほしい相手(たとえば子供)を深く傷つけ、周りとの関わりを失い、
しかも信仰の実践という名目で、膨大な時間とお金と労力を奪われ続ける。
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儀式的なもの(いわゆる宗教行事、読経も含まれるかもしれない)は、ある程度までは、行いに意識を使うという点で、感情が落ち着いたり、心の状態が整うという効果はあるかもしれない。
でも過剰になれば、それはただ無思考を延長させるための手段、まさに「無思考の儀式」と化してしまう。
「瞑想」なんて、とんでもない間違いかもしれない(笑)。目をつむって、現実から目を背けて、都合のいい妄想に浸る状態なのであれば。
こういうのは、瞑想ではありません。というか、瞑想という言葉が本当は間違いなのです(仕方ないのでこの場所でも使ってしまったりしていますが)。
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信仰を持った親との関係で苦労している人であれば、
①自分自身の妄想グセを克服することと、
②焼きついた親の映像(姿)をも妄想として消してしまうこと
が、課題になります。
具体的にはどうすればいいか。日頃お伝えしている方法が役に立ちます。
あえて足すなら、「徹底して距離を取る」(物理的に最も遠い彼方に親を置く)ことが必要になるかと思います。
それが難しければ、自分にできる範囲で徹底して「妄想を退治する」こと。
まずは「方法」を実践することが、当面の方針です。
2025年10月末日