SNSが病気を増やす

(※かつてご依頼いただいたインターネット・メディアの担当者様に、草薙龍瞬から返信差し上げた文面の一部引用です)

 

やはり、SNS(ツイッター ※現X)と同じ価値観でプラットフォームを構築されておられるのですね。

目が傷みます×▽×)

記事あるいは個人と読者とのやり取りに、フォロワー数の表示は必要なのでしょうか・・・。


今の世の中・時代が、人の心に過剰に負荷をかけている一因は、純粋な言論・表現に、逐一数値による評価を押しつける節操なき仕組みにあります。ツイッター(✕)がその最たるもの。「完全に病気」だと個人的に感じています。

人には承認欲があるので、フォロワー数とか視聴回数とかチャンネル登録者数とか、いちいち数値化されると、どうしても反応して、それに応えようとします。結果的に本来の目的(発信・交流・共有)から離れて、過剰に他人の評価を気にせざるをえなくなります。

自分では制御できない範囲にまで、自前の承認欲から妄想を広げて、疲弊し、鬱に落ちていく人は、大勢います。

他人の評価という妄想に快を感じて追いかけている状態がハイで、疲弊した状態がローです。躁鬱とは、妄想が作り出す心の病です。

これは、思考によっては抜け出せません。妄想を解除しないと。その原点にある承認欲を書き換えないと。


もともと人の心には、負荷(ストレス)が過剰に達するまでの許容範囲(限界値)があります。その範囲は人さまざまです。

人さまざまだからこそ、画一的な価値観をもって数値化し評価するしかけを採用することで、適応しきれない人たちが病んでゆくのです。

過剰な数値化によって人の心を扇動することで、一時的には利用者のモチベーションが上がったり、その数値を見て注目する人が増えたりするかもしれません。ビジネスモデルとしては一見成功して見えることでしょう。

しかし、「数値」というノイズが入る限り、情報の真価・本質が見えなくなります。簡単に見抜けること(自分にとっての価値の高低)さえ見えなくなります。

本質を見極めようと思えば、不必要な情報(たとえば経歴・ポスト・評価といった形式的記号)を捨象したほうが、速くたどり着けるものです。今の時代は、本来必要のない刺激と情報(いわゆる煽り)が過剰なために、本質を見極めることが、逆に難しくなっている印象があります。

おそらく貴誌〇〇〇〇様の読者たちは、価値ある情報を掘り起こすために相当なエネルギーを消費しているのだろうと察します。と同時に感情も、自尊心までも。何をコメントするか、自分をどう見せるかを、目まぐるしく計算しながら・・。


現在のSNSの設計は、発信する側にも負荷がかかり、見る側にも負荷がかかります。

その根本的理由は、自己顕示欲をベースに設計しているから。心の病が極北まで進んだ海の向こうの国の価値観(病気)に基づいているからです。同じことをしなくてもいいのに・・・。

数値が価値を持つというのは、一つの価値観。

しかし、数値は無駄(なくていい)というのも、正しい価値観です。

価値観というのは、平等。どちらかだけが正しく、優れているということはありません(価値観そのものは妄想だからです(笑))。


二つの価値観が併存してこそ、価値観が豊かだということになります。さまざまな価値観が併存するプラットフォームを作る場所こそが、多様な価値観を実現する、それこそ「一歩先をゆく」場所ということになります。そうした(まともな)メディアをめざせないものでしょうか。


現時点で、本当に先進的なプラットフォームは、存在するのでしょうか。ないかもしれません。


現代の宿痾(止み難き病)の一つは、自己顕示欲・承認欲を煽り、煽られる仕掛け「だけ」が、唯一価値を持つかのように、社会全体が勘違いしていることにあります。

単純に価値観が貧しいということです。その閉塞ぶりが、人々に過剰な負荷を強いている。

この国の人たちが、みな、単一の価値観の中に閉じ込められているように、私には映ります。

他にいくらでも、生き方・価値観・制度設計はありうるのに、みんな「乗っかる」ことに必死で、別の可能性を探そうとしない。

この国が迷走し続けているのは、別のあり方を想像し、かつ創造する知性が枯渇しているからです。

豊かなようで、きわめて貧しく、先進的に見えて、実はかなり遅れている。なぜなら、この世界のあり方を疑い、別の可能性を提起する知性が、ほとんど見当たらないのだから。みんな、乗っかってしまっている。根底から考えるということをしていない。


と、かように懐疑的なので、今の世界(〇〇〇〇様のプラットフォームも含め)とは一線を引いて活動しています^^。

(略)

私はSNSも一切やっていません。 今の私は、この殺伐とした異常な世界にあって、見えるようで見えない場所にいるのだろうと思います。

それでも本を見つけて、やすらぎを見出してくださる人たちが、たくさんいます。

そうした人たちとつながっていけるなら、それでいいのかなというのが、今の心境です。わざわざ自分から出ていくことも、過剰な数値化を強いてくる歪んだ世界に乗っかることも、まだまだ先の話でいいのかなと思っています(永久にないかもしれません)。

ご案内くださった(貴誌)プラットフォームが、もう少し優しい(というか合理的な)設計であるなら――たとえば、フォロワー数をデフォルトで開示する というツイッターもどきの仕組みを採らないことも選択できるなら^^;)、

この世界で頑張って生きている人たちとつながるつもりで、言葉を発する(執筆を引き受ける)こともあっていいかなとは思います。

現時点では、まだ躊躇する思いのほうが大きい次第です(踏み切るだけの名分がまだ見えない)。時機を待ちたいと思います。


多くの人が自分を語り、自分を見せつけたがる、「見た目、痛い」世の中です。

そんな中で、優しさやまっとうな生き方を貫いて頑張る人たち(ご連絡くださった〇〇様もそのお一人なのでしょう)のことを想って、地道に作品を送り出していきたいと思っています。


2023年2月某日