ノブの話(インド編)

出家・草薙龍瞬、インドをゆく から

(※インドの話は一定期間経過後に上記サイトに移します)


ノブは、ラケシュの息子で今年5歳。戸籍名はリュウシュン。

子供は、見方によっては2歳が“人生の絶頂”なのかもしれない。ノブも2歳の頃までは、天真爛漫で人なつこくて、まさにわが世の春を謳歌していた。

今ももちろん周囲に愛されているが、他の子と違うのは、どこか憂愁がただよっていること。もとからその気配があったが、遊ぶことがあまり好きではない。スマホにもすぐ飽きたし、今もゲームやおもちゃをあげても、熱狂することがほとんどない。最初はパッと表情が明るくなるのだが、すぐ消えてしまう。学校でも一人隅っこにいて、周囲の様子をながめていることがよくある。

さらに家の中では、今はアスカ時代――妹アスカの独壇場だ。ノブが手にしたものを、アスカが略奪する。遊んでいるノブに馬乗りになって妨害してくる。

「野生児」(ジャングル・ムルギ)と化したアスカは、気分高じて、ノブをぶったり蹴ったりすることもある。ノブは殊勝にも耐えているが、やはり甘えたい気持ちが強いのか、ささいなことで大泣きして訴える。

これは、どの家の兄弟姉妹にも明らかな傾向だが、やはり長男・長女は、親の影響をダイレクトに受けるだけでなく、忍耐も強いられるらしい。

対照的に下の子は、多くの家で「野生児」だ。天真爛漫、自由奔放、やんちゃ、わんぱく、わがまま。お兄ちゃんお姉ちゃんの忍耐犠牲を想像することもなく、実にのびのび気楽に育っている(もちろん下の子固有のストレスもありうるが)。

なにしろラケシュの長男だ。ノブは1歳半でソーシャル・ワークを始めたのである。父親と仲間たちの姿を真似して、みずから手伝いを始めた。今もラケシュにくっついて、ほうぼうの地域行事(プログラム)に出かけていく。

こういう子供は、考え抜いてもらうほうが良い気がする。子供であって子供でない子供はいる。いろんな本を読んで、社会の問題も学んでもらって、自分はどう生きればいいかを考えてもらうのだ。

1歳半(当時)で手伝い始めたノブ(ラマバイ生誕祭にて)
エラすぎでしょ・・



ノブは、おじさん的存在のバンテジにも、すこぶるなついている。プージャ(法事)には必ずついてくる。私の読経が好きらしく、一生懸命真似して覚えようとしている。関係ない場面でも遊びのつもりで、ナモナモと礼拝したりする。

ノブの宿題の面倒を見たり、ホッケーゲームに興じたりと、私もいいオジサンとして関わっているが、父親ラケシュにはない厳しさもある。

ある晩、プージャがあって、ノブもついて行きたいというので連れて行ったが、今度は家に帰って、おいおいと泣き出した。「宿題やってない」という理由だそうだ(翌日は日曜だから差し支えなかったのだがw)。

その翌日の法事にまた来たいと言ってきた。私はグーグル翻訳を使って、昨日の話をした。

「法事に来たいと言ったのは君だろう? 自分で選んでおいて、あとで泣くのはフェアじゃない。自分の選択には、自分で責任を取りなさい。わかるかい?」

「泣くなら、来ることは許さない。どう?」と訊ねると、「泣きません」と答えたので、同行を認めた。

また別の日の法事では、一番前に座ったはいいが、隣の子供とじゃれてふざけていたので、「出て行きなさい」と一喝。このあたりは厳しいお坊さん。

後で「なぜ追い出されたかわかるかい?」と訊ねると、ちゃんと理由を説明できたので善しとした。

ノブはバンテジの言うことは素直に聞く。今だからこそ伝えられる(伝えねばならぬ)こともあると、私も知っている。

将来出家するのではと思うくらいに、バンテジを通して仏教を吸収しているが、聡明な子だから、やがて坊さんであることより、父親のように人々の中で人々のために生きることを選ぶことになるだろう。

さながらゴータマの幼少期のように憂愁を抱えて見えるノブに、グーグル翻訳である日メッセージ――「君は強く生きて行かないとね」。

するとノブも僕も伝えたいと、スマホにつぶやく。「こんどはメトロ(電車)買ってきて」。はは、わかったよ(笑)。


1歳のノブと

ノブの誕生日に村人がくれたマグカップ(隣は日本からのおみやげ)

ずっと見守っているからね



2024年2月