マイペースは老化のあらわれ?


出家の独り言――

最近、仕事が遅くなった気がしてならない。

仕事とは本づくり(執筆)のこと。

週イチの新聞連載は確実快調に進めているが(落としたら犯罪級なので、これは当然のこと)、

単行本の執筆となると、なかなか進まなくなった気がしてならない。

(気がするというより、確実にそうなっている・・『これも修行のうち」』と『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』は、『反応しない練習』の翌年にほぼ同時期に上梓したのに・・客観的に見ても、あの2作は中身の詰まった本だと思う。それを半年以内でほぼ同時に書き上げたのだ。)

仕事のペースが遅れがちなのは、なぜか。執筆以外の雑事が増えてきたのか・・。

正確にいえば、できることなら新しいもの(路線・内容)をという自分に課するハードルと、慎重にという性分はそのままに、いろんな物事が上乗せされてきたからというのが、正しいかもしれない。

本づくりについても、新たな作業が入ってきた。

新しいものをというハードルをクリアするには、「勉強」せねばならない。

ところがこの勉強が、率直に告白して面白いのだ。

映画を観たり、小説を読んだり・・正直、これだけをやり続ける暮らしがあってもいいかもと思ってしまうくらいに楽しい作業ではあるのだ。

(楽しんでいるだけでなく、作品にどう活かすかという視点で、表現の技法や演出の方法や展開の順序を学んだりと、かなり心はせわしなく働かせているのだが)。

だが、こうした作業は、あくまで自己満足にすぎない。いうなれば、自分優先で、出版社・編集者様本位ではない。

自分のことを優先させて、仕事で関わる人たちにもうしばしの猶予を求めてしまう・・というのは、プロの仕事人としては、劣化であり、老化、退化なのだと思う。

自分で配分やペースを選んでしまう、それが許される気がしてしまう・・・このあたりが、物書きの、いや独立自営業者の老化の現れだ。そんな気がしてきた。


本来なら、依頼者(出版社・編集者)様目線で、速攻で書き上げる! 中身も素晴らしい! しかも多くの読者に届く!! というのが、理想なのだろう。そうは承知しているのだが。

わがまま、マイペースは、老化の現れ。これは受け入れてはならない。

もっと速く! おまえならできる! やれ! 急げ!! と鈍亀になりつつあるかもしれない自分に危惧を覚えつつ、ムチを打つ。

(まずは時間割を工夫しよう・・書く日は書くだけにしないとダメだ・・とまずは初歩的な反省から・・)


もっと頑張れよ、自分。



2024年11月1日
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