踏み出すか、留まるか


『反応しない練習』『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』などの著作に託した内容が、「社会常識」になってくれるくらいに、広く知ってもらえたらという思いはあります。

今はSNSはやっていませんが、近い将来ネットメディアを活用して、もっと情報発信していく時期が来るような(始めなければいけないような)気もしています。

大きな目でみれば、日本という社会から次第に希望が減りつつある気が(ある程度の年齢を重ねたからかもしれませんが)してなりません。

「心の使い方」という合理的な視点を貫くからこそ、広く受け入れてもらえる余地が広がり、その分、希望を増やすことに貢献できるかもしれないと感じています。

ただ、現時点では、ネットメディア(SNS:Y○○T○○○も含む)に出ていく心の準備ができていません・・・。

こうした媒体ではたしてどこまで伝わるのか。時間潰しに使われるだけではないか(お気軽に視聴できるだけに、お気軽な範囲でしか心に残らない)と思わなくもなく、

でもそうした傾向はあるとしても、ならば軽い範囲で届く内容を伝えればいいのではないか、伝わらない(伝えない)より、伝わる可能性があるほうが、よいのではないか、

こうしたメディアを通してでないと伝わらない、出会えない、でも受け止めてくれる人たちもいるのではないか、という思いもあります。

特に思うのは、毎日仕事に追われているであろう勤め人の人たちとか、遠い場所でひっそり暮らしている人たちとか。

そうした人たちに届く、伝わる、出会えるという純粋な価値だけ作れるのなら、やってみる意味はあるかなと思わなくもありません。
 

この点は、ずっと考え続けてきたけれども、まだ答えは出ていません(ずっと思春期(笑)?)。


もし踏み出すなら、みんな幸せになって(なろうよ)、元気出そうよ、という思い全開で、つまりはもとのキャラを全開にして届けたいと思っていますが、そんな動機が通用するような世界なのかどうか・・。






こんな感じ?(『人生をスッキリ整えるノート』家の光協会から)




2024年11月中旬