自分を大切にする一年に


(※最近「自立」へと踏み出した60代の女性に向けて)


親という生き物(結婚(してしまった)伴侶もそうですが)は、不思議な存在です。子供の幸せを願うどころか、勝手な怒りなのかやっかみなのか、子供の人生を妨害して、足を引っ張って、壊そうとさえする生き物さえいます。

最初のきっかけは、たぶん小さな妄想です。親の側の勝手。その妄想が悪い方向に転がって、親であるがゆえの権力(体力・経済力等)とあいまって、

最初の妄想(悪意)がどんどんと悪い方向へ、子供を苦しめる残酷な方角へと肥大していくことが起こります。まっとうな人間なら自分で歯止めをかけようと努力するものですが、たまに自分の悪意を受け入れてしまう(正しいと思い込む)人間がいたりするのです。

実家を出る、別れる、捨てる・・そうした選択が、自分を守るために必要なこともあります。そうした選択をしなくていい人もいますが、選択しなければいけない人もいます。

こればかりは、自分が置かれた状況をもとに決断するほかありません。答えを出せるのは自分。答えの正しさがわかるのも自分です。


決断の仕方は簡単です。相手が変わらない、変わろうとする努力を見せない、そんな相手との関わりが苦しくてたまらない・・という現実があるなら、

単純に相性が悪いということ。最も自然な選択肢は、離れることです。脱出すること。


たとえば老いた(でも病的な頑固さ・傲慢さは枯れない)父親に苦労してきた女性なら、そうした父親を捨てること。遠慮はいりません(笑)。

母親はどうするのかといえば、母親は、そんな男と一蓮托生で、それがその人の人生なのだから、子供である自分が背負う必要はありません。病院への付き添いなども不要(あるあるですが)。本当に必要ならなんとかしますよ、こちらが手をかけなくても。

子供はつい勘違いしがち。親の人生を背負わねばいけないの?と。良好な関係ならありうるけれど、自分を失ってしまうほどの苦痛を背負ってまで引き受ける必要なんて、本当はまったくないのです。

人の人生は人に委ねること。

自分は自分の人生を生きること。


もうひとつ、自由を求める人に大切なのは、家に置いてあるモノに執着しないことです。どうしても置いておけない大切なものは、(なるべくこっそり)運び出すとしても、生活用品程度なら、忘れてしまえばいい。

「半年旅に出たとしたら?」と想像してください。飛行機に乗ったと仮定しましょう。半年好きな場所を旅して、家に置いたものを思い出すか。思い出せるか。

思い出せない程度の物は、必要がないということです。

必要なものは、新しい生活の中で少しずつ増やしていけばいい。とりあえずすっからかんから、少しずつ必要なものをそろえていくのは、いかがでしょう。


しばらくはぶり返し(過去を思い出してしまう)が続くかもしれません。親だった人たちの良い部分を思い出そうとしたり、今なら優しくできるのではと考えてしまったり。

でもそれこそが、執着を断ち切る前に生まれる妄想です。その妄想と闘うことがカギになります。

もう闘わなくてよいのです。終わらせてください。


休める間はゆっくり休む。そんな自分を責めないように。
どんな状態でも、自分を許してあげること。
自分に優しく、寛容になりましょう。

そして、自分のために生きること。


人間は、自分のために生きてよいのですよ。犠牲になる必要はない。ましてこちらの幸せを願ってくれないような、自分の都合・要求で頭が一杯のちっぽけな人間のために、こちらの身をすり減らす必要はない。

自分のため、自分が好きだから、自分がやりたいから、自分が報われるから、やる。

そういう当たり前の前提に立ってできること(仕事も含めて)をもって、生活を作っていくことです。


人はもっと幸せに生きてよいのですよ。

幸せを知る一年にいたしましょう。


※なお、今回の言葉に抵抗を感じる人は、まだ執着の途上にあるのかもしれません。あるいは、今の関係性が、自分にとっての正解なのかも。答えを出せるのは自分自身です。


 

2025・1・5