全国行脚の後半に入るため、寺子屋は一週間ほどの空白に入る。
この夏、寺子屋の子供たちに彼らに伝えたことは、
〇正しい学び方(勉強法)を実践すれば、確実にできるようになる。
〇中学までは、地元の友たちばかりで世界が狭いが、高校になるといろんな生徒が集まってくる。精神的にも落ち着いて大人になってくる。だから中学より高校のほうが楽しかったという大人が多い。行く高校で人生が変わる。
〇成績を上げなければということではない。それは本人の志望・選択次第だが、できることはやることが当然。どこまでできるかやってみて、体験して初めて、向き・不向きも見えてくる。体験しなければ、自分は何が好きか、何ができるかもわからない。つまり体験しないと、努力してみないと、人生が始まらない。
〇つまらない時間の過ごし方をすれば、つまらない大人になる。
この場所で頑張って見せても、家でダラダラ過ごしていたら、本格的に勉強し始める子たちには絶対に追いつけない。だらしなく過ごして損するのは、将来の自分。
〇だから、家でも自分から勉強する時間を作ること。自分が後悔しないために。やらねばならないことは真剣にやる。当たり前。
最後の日に伝えたことは、
「親もあと十数年で定年になる、いずれ働けなくなる、やがて君たちより確実に早く死ぬ。それが人生の順番というものだ。
いつまでも子供のままのつもりで、お小遣いもらって暮らし続けるわけにはいかない。君たちが30過ぎて、今と同じことをやっていたら・・どう思う?」
言葉が話せるなら、どれだけ年が離れていても、十分に伝わるものだ。大人が想う以上に、小・中学生は、考える頭は持っている。
現実を伝える。何をどのように学ぶか、考えるかを、緻密に言語化して聞かせる。大人の妄想を押しつけない限り、このあたりの年齢になった子には、ちゃんと届くものだ。
教え下手というのは、自分に都合のいい妄想しか見えなくなった時に生じる。こちらが心を開いて、伝えるべきことを一人の人間の思いとして伝えて、
「すべては君の人生だから、君が何を選んでも、何をしても正解だけれど」という前提に立って(線を引いて)向き合えば、自分で理解し、自分の頭で考えるようになる。
あとは信頼することだーー教えることにおける信頼とは、伝えられる時間の中で人として伝えなければと心から思うことを伝えて、あとは本人の選択だとして、それ以上に追いかけないことである。尊重でもあるし、いい意味での突き放し(放任)だ。このあたりの線引きをすることが、「信頼する」ということである。
大人の目に見えないところで何をしていても、それは本人の選択であり、本人の人生だから、問題はない。そもそも「見えていない」範囲を大人がコントロールしようとすること自体が、妄想の押しつけである。
今のところ、教える人間としての役回りは果たせているように思える。成長を目の当たりにできる面白さもある。よき時間である。
2026年8月中旬