帰ってきたのは、3月第2週。羽田を出ると、電車内の広告はメジャーリーグの遠征試合について。日本は平和。車内の人は、ほぼ全員がスマホを眺めて沈黙している。
「空気」だけでも、これだけパワーの高低があるのだなと感じます。
インドの場合は、心は「人」に向かう。自分かそばにいる誰かか。話しかけるし、自分のことも話すし、なんというか臆面がない(もちろん深いところでは別の思いがあるとは思うけれど)。
察するに、日頃人との関係で疲れることが多いから(その疲労の半分は自分の側の過剰な気遣い、いわゆる忖度とか判断とか先回りの妄想であるような気もするけれど)、
その分、一人でいるときはスマホを眺めて、現実(人間)逃避しているように見えなくもない。
毎年思う、この国の空気の希薄さと停滞ぶり。おそらく一人一人の心が相当「混乱」している。というのも、心は一定量のエネルギーを持っていて、ちゃんと使い方を自分で選べていれば、それほど疲弊しないものだから。
そういう心の混乱。さらには、心の総量(いわゆる社会の集合意識)の確実な老化。
混乱していて、老いている。としたら、そうか、こういう空気になるのかなあと無責任な妄想が湧いてきた。
老いは確実に進むから、放っておけば、この国はもっと老いていく。
幸い島国で、過去半世紀に頑張った蓄えもまだ残っているみたいだから、すぐさま老いの果てが見えるわけではないだろうけど(でもかなり見えてきてもいるのだけど)、
今日の光景が十年後、二十年後にもそのまま続いているわけではない、というか変わっているであろうことは確実、というか確実だと心しておくほうがいいように思う。
これまた幸いなことに、何千万人という人間がまだこの先半世紀はこの国を支えているだろうし、危機感に目覚め始めた人たちが声を挙げる、行動に移すということも、少しずつだけれども増えてきているようだし、
この国の人々は、まとまれば強いし、それこそメジャーリーグで無双の活躍をしている彼らのように、個のポテンシャルはすさまじく高いから、
どの時点かで「本気」になれば、なんのなんの、まだまだこの国をよみがえらせることは可能だと思える。
国を若返らせるとは、「変わることがノーマル」になること。新しいアイデア、制度、商品、サービスをどんどん形にする。多少の失敗は前進の肥しにしてしまうこと。
「こんな新しいモノが出た」
「こんな法制度ができた(ただし改悪ではなく人々の心が明るくなるような法律・制度・システム)」
ということが頻繁に起こって、「なんだか世の中変わってきたな、前に進みつつあるな」とみんなが思えること。
変わることをノーマルにすることは、人々が真剣に願えば、それほど難しいことではないような気がする。
今のところ、後者の負の力のほうが幅を利かせている。停滞が30年以上も続いて慣れてしまっているところもある。
どこかで国の若返りが始まってくれたら・・と思う。
ということを、帰国早々考えてしまう。なぜかこの国に来ると、私は途端に母性・父性?に目覚めてしまう。大丈夫? 元気にしてる?みたいな。
16日から18日に講座が3コマ続くので、その教材を仕上げて、連載用のイラスト描いて、〇〇やって(←今この段階笑)、〇〇行って拠点づくりの打ち合わせ(細部選びがこれまたたいへん)、サラとの再会(引き取り)と続く。
一週間近く経ってすっかりモードが変わってしまいました。「出家の夏休み」はおしまい。終わってしまった・・。
挨拶遅れましたが、戻って参りました。
草薙龍瞬
2025年3月中旬