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学校、東大、官僚、政治・・一つ一つの現場を、自分自身が知っている限りで思い出すと、この社会は ”巨大な碾き臼(ひきうす)” のようなものかと思えてきた。
霞が関であれば、御上先生の志や能力さえも摺り潰される。
学校であれば、あのドラマの学生たちの明るさや優しさも摺り潰される。
創造力に富んだ先生たちの意欲も摺り潰される。
ならば日本を変えようと法律家をめざしても、法律を書き、政策を作れる ”創造的法律家” になれる道は、日本にはなく、司法制度の枠に収まっているうちに摺り潰される。
政治家になっても、これまた打算計算と保身にまみれた周囲の人間たちの間(はざま)で、摺り潰されてしまう。
日本という社会は、いくつもの碾き臼(ひきうす)が歯車のように重なった場所で、その中を潜り抜けようとしているうちに、摺り潰されてしまう。ゴリゴリと。
そういう場所かもしれないと、ドラマを見ながら思った次第。
(しかしプロの俳優さんはほんとに演技うまい笑。松坂桃李さんもイイ感じ。御上先生の闇を抱えた目とか、母の前で過去の葛藤を思い起こす表情とか)
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日本を変えるのは、たしかに教育。だが教育の現場さえ、碾き臼と化している。
重症なのは、大人たちがみんな、碾き臼を回すことに加担していることだ。
中高生のみんなに罪はない。
最も罪深いのは、今の学校、試験制度、教育政策を支える側に回ってしまっている思考停止の大人たちだ。
ゴリゴリと回して、未来を摺り潰している。
変わるには、どうするか。まだひとつ残っている。かなり狭い道だけれど。
今は言いません。
御上先生の問題意識、しっかり受け止めました(今日、最終回)
2025・3・23